Scribble at 2021-04-20 16:13:28 Last modified: 2021-04-20 16:23:52

布施のニチイの思い出

小学生の頃、近鉄永和駅の北にある朝日プラザというマンションに住んでいたことがあり、そのときに両親と布施のニチイへでかけたものだった。その後、ニチイはサティという店名に変わり、破綻してイオン・グループへ吸収されてブランドは無くなってしまったが、子供の頃に何度も行った店舗として強い印象が残っている。もちろん、小学校の近くにあった近鉄あべの橋店にも多くの記憶があって、もうハルカスになってしまって跡形もないが、昔の近鉄の1階には梅田の阪神百貨店で有名なイカ焼き店と肩を並べるくらいのイカ焼き店があったのだった。

布施の店舗はサティ閉店時の動画が残っている。

https://www.youtube.com/watch?v=eMsXYDG-cSM

上記に URL を載せた記事は「布施のニチイの思い出」というタイトルの割にニチイの話が殆どないし、致命的なことに昔のニチイがあった場所を今のイオン布施駅前店の場所だと誤解している。ニチイは近鉄の高架を走る車内から店の中の様子が見えていたわけで、現在はヒロミゴーの CM で知られるパチンコ屋のある場所がニチイやサティが建っていた場所である。

それはそうと、いま Google Maps を眺めていると不思議に思ったのだが、当時はニチイへ行くのにどういうわけか永和駅から布施駅まで近鉄に乗っていたのだった(だから、車窓からニチイの店内が見えたという記憶が残っている)。しかし、ニチイがあった場所は永和と布施の中間なので、永和まで歩くならニチイまで足を伸ばすくらい大した距離ではないだろう。そもそも、布施で降りてニチイへ歩く距離と殆ど変わらないわけなので、どうしてそんな不合理な行動をとっていたのか、理解し難い。父親は大学時代は山岳部だったらしいし、母親も学校時代は陸上をやっていて、僕も幼い頃からリレーではアンカーしかやったことがないくらいなので(どのみち何人かを追い抜いてしまう)、三人とも歩くことは厭わない筈だ。何か記憶が他の状況と入れ違っているのだろうか。

ともあれ、ニチイでは上の階で「超合金」の玩具を何度か買ってもらった記憶がある。高学年で鉄道に興味を持ったときは、確か N ゲージの車両を買ってもらった覚えもある。それから、親が下の階で洋服などを物色しているあいだ、幾らかお金を渡されて一人で屋上で遊んでいた記憶もある。当時は家が商売をしていたこともあって、それなりに色々なものを買ったのだと思うが、いま思えば残っているものは何もない。玩具は、その当時のマンションから引っ越す時に数少ない地元の友人(そもそも小学校からずっと国立の学校だったため、いわゆる「校区」というものを殆ど知らないし、住んでいる場所にも友達が殆どいなかった)に譲った。

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