Scribble at 2022-12-30 00:24:55 Last modified: unmodified

箸中山古墳(箸墓古墳、大市墓とも言う)の記事を書こうとして中止した理由を残しておく。もともと、その記事は森浩一先生が出演されている『真珠の小箱』で放映された内容を紹介することが第一の目的だった。そして、当時から現在までに実施された調査の報告内容や研究成果をサーベイして、森先生の解説をアップデートするという内容を予定していた。でも、実際に『真珠の小箱』で放映された内容をテキストに起こしてみると、航空機から撮影した映像を眺めながら対話している体裁の番組だったので、意外と話している分量が少なかった。著作権を鑑みて、テキストに起こした内容を引用として放映時間の半分以下に抑えたのだが、その6分弱ていどの時間で話されていたことは、せいぜい上空から眺めた様子と箸中山古墳の簡単な説明、そして付近にある纏向遺跡とのかかわりなど、いかにも貧弱なものである。もちろん、テレビ番組として映像が主体なのだから、話している内容が少なくても仕方がない。でも、当サイトのレイアウトで言って10行ていどにしかならない内容をベースにしても、あまり有益とは思えないのである。

それに、この番組を構成しているのが足立巻一氏であるという点を考慮しても、人のやることなど何年も残すようなものではないという見識がどこかにあると思われるので、40年近くも前の番組で喋った内容をベースにすること自体がセンチメンタリズムでしかないと、彼に笑われるような気がする。もちろん、森先生が話されていた解説には、いくらテレビ番組だとは言え、やはり後年の森先生自身から見ても同意しかねる点が幾つかあるのだから、なおさらだ。

すると、この番組の内容を参考として利用するだけにとどめて、一般的な概論として箸中山古墳について記事を書くかと言えば、ノーである。第一に、僕は中学時代にプロパーからも考古学者を嘱望されたいたていどには意欲も知識もあったのだが、その時点での中学生の見識から言ってすら、いまの僕に十分な解説ができるとは思えない。いくら昔の知識で有効なものが残っているとは言え、最低でも1年や2年は専心して学びなおす必要がある。もちろん、これまでにも東大阪市にある山畑古墳群について調べていたこともあったし、そのサイトすら公開していたのだから、そういうページを作りたいという欲求はある。でも、山畑古墳群ならともかく、箸中山古墳についてはいくらでも関心がある人はいよう。その中の大半は、「卑弥呼の墓」などというデタラメを信じて期待しているクズみたいな素人だとは思うが、わずかにでも専門的にじっくり学んだり調べてオンラインに適切な解説を書いてくれる人が出ることを期待したい。ということで、山畑古墳群についてなら僕がそういう解説を書く意欲も才能もあるけれど、箸中山古墳についてはそこまでの意欲が無い。

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