Scribble at 2024-07-25 13:23:38 Last modified: unmodified
本日は朝から出社していた。その帰りに天満橋へ立ち寄ると、京阪モールのエントランス(スターバックスがある付近)でテレビ大阪の社員らしき人々と、たぶんコンパニオンのおねーさんたちが浴衣姿で上のような団扇を配っていた。たまたま土曜日だと実家で父親が中継番組を眺めていることが多いので、僕も中継番組を何度か観たことがある。
もちろん、実際に天神祭の現場にもいたことはあるが、それは会社の帰りに堂島川に沿って歩いて帰っていたときに遭遇したからで、祭りを観に行ったわけではない。なので、人でごった返していて先へ進めないため、帰宅するのに30分以上も余計に時間がかかって辟易した記憶がある。それでも、そのときはインバウンドなんていうマーケティング用語が流行するよりも前の話なので、外国人の観光客なんて殆どいなかった。いまだとあの人だかりに加えて外国人が加わるとなると、それは鬱陶しい状況になるのだろう。僕は、母親の実家である岩手県の住田町で祭りに行ったり、あるいは大阪や奈良でも住んでいた当時の地元で開催された祭りや盆踊りに行ったことがあるけれど、地域でやっている祭りなんてものは、たいてい地元の人たちが有志で行うものなので、押し合いへし合いなんてありえないわけだ。それが、天神祭や祇園祭といった、はっきり地元の人がどれだけ加わったり見に行っているのかと思うような、「日本の伝統」を騙る観光イベントなんてものになると、僕には続こうとなくなろうとどうだっていいものに思えるんだよね。そこで使ってる山車や神輿が国宝であろうと、そんな単なる観光イベントに本当に人として継承するべき値打ちなんてあるんだろうかと思う(つまり僕は人類史スケールの保守なので、祭りという人類学的な価値や機能に関心がある。日本なんていうセコい単位でものを考えてはいない)。