Scribble at 2022-07-22 14:50:45 Last modified: 2022-07-23 12:07:53

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特異な才能を持つ子どもたちを指す「ギフテッド」。「神から授けられた」という意味の英語が語源です。ただ、「光」の強さの分だけ「影」もあります。日本でも、当事者への支援をめぐる議論が始まっています。

3歳で漢字、小4で英検準1級 IQ154が泣いて苦しむ小学校生活

paywall で読めもしない記事だからコメントする資格はないかもしれないけど、この手の「天才願望」とか「天才待望論」が凡人にあるのは知ってる。自分が「天才」になりたいみたいな願望は中二病の一種であろうし、誰か他人が「天才」として癌の特効薬を開発してくれないかというのもファンタジーの一種であろう(欧米にはメシアという観念があるし、後進国にはカーゴ・カルトというものがある)。なんにしても、凡庸な人間が考えたり宗教にまでしてしまう妄想というのは、とどまるところを知らぬ陋習と言ってもよかろう。

そして、3歳で漢検だ、小4で英検だと持て囃したところで、その手の早熟な子供が東大教授になったりベンチャー企業の社長になった事例など殆どないという圧倒的な事実は、そういう見た目のパフォーマンスだけで「天才」というものを語るジャーナリズムそのものの浅薄さを物語っているだけなのである。記者や原稿書きどもには、こんな下らない連載を公表する前に、「天才」とはどういうものなのかを学んだり考えてみてもらいたいと思う。この手の話題は、一秒一刻を争うような「報道」の問題ではないのだ。書かないと給料がもらえないわけでもあるまいし、数年は学んで考えてから書いてもいい内容であろう。

ここではっきりと言えることだけ忠告として教えてやるが、漢検や英検に合格したとか、あるいは円周率を何桁暗記してるとか、そんなことは「天才」の必要条件でもなければ十分条件でもないのだ。ごく普通の常識として国際的なスケールで言って称賛されるのは、数学を学んで証明されていない定理を証明したとか、たくさんの植物を覚えて新種を発見したとか、はっきり言えば「業績」を具体的に出したものだけなのだ。5歳で10万語を覚えて英語が話せるようになったからといって、その程度の子供はアメリカならたくさんいるわけで、彼らが早熟ではあっても「天才」と呼ばれていないのは、それが「英語を話せる」だけのことでしかないからだ。それは九官鳥と同じであり、量子コンピューティングの意味も分からずに「量子コンピューティング」と音を発しているだけのボイス・レコーダーと同じだからである。仮に1億桁の円周率を記憶する小学生がいたとしても、その子がそれだけのことで楕円関数論の定理を理解できる保証なんてない。そして、その保証がない限り、そういう人物を「天才」とは呼ばないのが常識というものである。それは「たくさんの数字を覚えた子」にすぎないのだ。

要するに、(日本だけに限った話ではなくなってきているのが由々しきことなのだが)教育者やマスコミは gifted やら genius の基準が低いか甘すぎるのである。基準が低いからこそ、ちょっと変わったことができる子供を「天才」と言って騒ぎ、記事として公表したり、彼らの生活を色々と取材して悩んで見せるポーズをとったりできる。でもそれは、従来の左翼メディアが同和地区出身者や在日朝鮮人や生活保護受給者や障碍者や癌患者を本当のところ〈取材ネタ〉にすぎないとしか思っていないのと同じで、実際にはそんなことを報道しても糞の役にも立たない。社会は、そんな報道では 1mm も改善したり向上しないのである。

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