Scribble at 2023-09-10 21:40:49 Last modified: 2023-09-10 21:59:01

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市川伸一『考えることの科学―推論の認知心理学への招待』(中公新書、1997)

何日か前に、通俗本の仕分けみたいな話を書いた。そのときに、自分が専門的に学びたい分野については、総覧的な本を読む必要はなく、いきなり大学のテキストや概説書に相対するべきであると書いた。そういう、自分が積極的にコミットして何らかの成果を出したい、得たいと思っているなら、そもそも通俗本とか一般向けの本など読む必要はないのだ。なぜなら、そういう本はそもそも素人を当該の分野へ誘導したり案内することが目的であり、そこがいちばん難しいからこそ多くの通俗本が出版されているのだ。よって、既にその分野を学びたいという意欲がある人は、その分野の鳥羽口に立っているのであるから、そこでやるべきことは、端的に飛び込むだけなのである。通俗本を一読して準備運動なんてする必要はないのだ。よく、そういう通俗本を予め読んでおけば「概観が掴める」などと言われたりするのだが、実際にはそういう「概観」は、著者の偏見や雑な短絡であることが多い。たいていのプロパーなんて、通俗本で取り上げるような広い分野の体系的な知識や情報なんて満足に持っていなかったりするのである(たとえば、Timothy Gowers が全ての数学分野の高度な知識、つまりその分野の専門誌で査読ができる程度の能力を持っていると思う人はいるまい)。

実は、上に紹介している『考えることの科学』という本は、かつて25年くらい前に恩師の竹尾治一郎先生から読んでみてはどうかと勧められたのだが、僕は(いちおう所蔵しているが)読んでいない。というか、ざっと眺めてみたのだが、こういう総覧的でキーワードを散りばめただけのカタログ的な本を、僕らのような哲学者が読んでも役には立たない。いや、たいていの人にとっても、営業トークなどで頭がいいフリをしたいならともかく、多くの人にとっても無用のものだろうと思う。残念ながら、ひろゆきをはじめとしてディベートや口先だけの「論破」や「マウンティング」に血道をあげているような若造に限って、こういう本を有用だと見做す傾向にあり、それゆえ「京大式なになに」とかクリシンの本がやたらと流行っているのだけれど、それでいったい彼らはどんな業績を挙げたのだろう。適当な金持ちになって、財産を差し押さえられないようにフランスへ移住して、デタラメな話を書きまくって日本の若者を煽るだけか? インドからアメリカに留学した若者は、だいたい20代の前半で arXiv にサブミットできるていどの高度な実績を出したり、あるいは GitHub で多くのコミッターを集めるプロジェクトを立ち上げたりしているけれど、さてはて、こんな通俗本をせっせと読みふけっている諸君は、どういう国際的な業績を挙げたのかな? 最低でも、僕のようなネットベンチャーの技術部長にでもなれたのかね?

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