Scribble at 2022-06-11 09:06:03 Last modified: 2022-06-11 14:03:10

Mind のバックナンバーをオンラインで再び見る機会があった。確か関西大学の修士だった頃も千里山の図書館で書庫のアーカイブを眺めた経験がある。学生の当時は、とにかく手当たり次第にバックナンバーを文字通り「渉猟」するように通覧しては、興味深いタイトルの論文を手当たり次第にコピーしていた。もちろん、その多くは丁寧に目を通していないにしても、色々なテーマについて僕が着想を持ったところで、後を押したり、あるいは後ろへ引っ張り戻したりする役割を果たしてきたものだった。

そういう感慨が深いのはいいとして、再び論文の一覧を眺めていて思うのは、やはり時代が遡るとテーマは大きくなったり、概念として基礎的なものが取り上げられていて、"piecemeal" と呼ばれるように細分化が進んだ現代の論説と比べれば、その中身は雑だしナイーヴだ。いかにも「哲学先生の議論」といった風情があり、そして Mind だからかイギリス人に特有の思い上がった田舎人士みたいな言い回しもある。特に、哲学に身を投じてはいても現実には一人の働き手であり社会人であることに変わりはないためか、第二次世界大戦期に遡ってくると論説の掲載数が減ってくるし、正直なところタイトルだけで即断できるほどの下らない論文も増えてくる。現代の break down した詳細で周到なアプローチに比べて雑であるというばかりか、そもそも〈哲学〉として底の浅い論説が多い。しかし、当時はまだ学界としても制度的な過渡期にあったと思われるため、仲間内(ソサエティ)での口頭発表とか、恭しく進行される討論会のような場でのプレゼンテーションも有効だったのだろう。

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