Scribble at 2020-04-20 09:18:57 Last modified: 2022-10-03 15:58:44

コンビン [sic] 雑誌コーナに、初心者向けの写真を多様 [sic] した仏教や寺院案内の雑誌が置いてあることから、活字ばっかりの本は敬遠される傾向にあったのかも知れません。最終号は購入してみます。

『大法輪』が休刊

『大法輪』と言えば、大手の書店で宗教書のコーナーへ立ち寄ると、よく目につく雑誌だ。また、小規模な書店でも店主や近隣住民に熱心な人が多いと、こういう雑誌が置いてあることもある。大阪では「谷町」と呼ばれる地域に寺社が多く集まっているため、この付近の書店ならだいたいどこでも見かける雑誌だ。それにしても、休刊の理由として、最近は「インターネットの普及により云々」という記述を頻繁に(というか紙の雑誌が休刊するときの理由として定番と言ってもいい)見かけるのだが、果たしてそうなんだろうか。丁寧に調べている事例を知らないのだが、いわゆる「ネット・メディア」と呼ばれているオンライン・ジャーナルの体裁になっているサイトだって、紙の雑誌が創刊されて消えてゆくのと同じく、雨後の筍のように現れては続々と消えているように思う。

僕が思うに、このような事案はインターネットだ紙だというポイントが重要なのではない。そうではなく、一定の分量のコンテンツを定期的に定額で公開するという仕組みに、実はコンテンツ配信なり通信なり報道なりという活動としての正当性が、もともと無いのである。歴史的な経緯による決まり事として、毎週の月曜日とか毎日の朝5時とか毎月の25日とかにこれこれの分量の発行物を配布するという体裁が続いてきたのは、労働者の管理や資材の調達や印刷・配達のコストなどを考慮して、決まったタイミングで資材や労力を集約しようと決まっていること(つまり、決めることを決めたということ)なのだが、そこには情報伝達としての形式的な正当化は不可能なのである。情報を得て、検証したり編集して、公開の是非を裁可されたら公開するという、是々非々のプロセスだけを考えたら、後は情報の内容や重要性だけで発行するタイミングが1時間後だろうと5分後だろうと自由である。オンライン・ジャーナルは、そういう是々非々での情報公開を可能にしているという理由で紙の媒体よりも圧倒的に優れているが、大半のオンライン・ジャーナルには、従来の出版社や新聞社が公開しているオンライン・ジャーナルにしろ、新興のメディア・コンテンツ企業が発行するオンライン・ジャーナルにしろ、幾つかの欠点や不足がある。

まず、従来のマスコミが発行するオンライン・ジャーナルに目立つ決定的な欠点は、もちろん彼らの官僚制であろう。新聞社や大手出版社のサラリーマンというのは(何度も繰り返すが、僕は企業人は色々な意味で「マン」と呼ぶべき陋習を抱えていると思うので、これは女性を否定しているわけではなく、寧ろ男性が多いからこそ指摘できる欠点を抱えているという意味で「マン」という表現を採用している。もちろん、僕はみなさんが想像しているような次元のフェミニストでも diversity advocate でもないが)、特に日本では大半のマスコミ関係者が東大や早稲田といった学部卒の素人集団のくせに、プライドだけは高いため、新しいことを学んだり採用したり取り入れて自らの習慣を最適化するということに強い抵抗をもつ。よって、オンラインという商圏でのマーケティングについて殆ど知識や経験を積み上げようとしないため、仕方なくオンラインで何かやるにしても、まずは出入り業者やコンサルといった連中に何かを提案させて、莫大な予算の一部を小遣い銭ていどにくれてやるという態度でインターネットに接している。こういう都内の馬鹿どもが The Atlantic や NYT のような媒体よりも決定的に後れを取っているのは自明だろう。

そして、新興のネット・ベンチャーであるコンテンツ配信企業なるものが抱えている決定的な欠点は、要するに今の話とは逆で、情報コンテンツを取材したり編集する実務能力が素人並みという点だ。この手のネット・ベンチャーは、その大半がコタツ記事のライターや素人のアフィリエイターを寄せ集めた、ネット・サービスのパワー・ユーザという意味では「デジタル・ネイティブ」と言えるかもしれないが、報道としての実務能力はアマチュアであり、せいぜいググるのがうまいていどのスキルしかない。書かれている文章を正確に理解する大学院以上の素養などもっていないし、社会経験も殆どない人々で社員が占められている。そうして、元マッキンゼーとか元広告代理店、あるいは元銀行員といった経歴の経営者が多く、つまりはファイナンスと前職の伝手だけで人や技術を引っ張りさえすれば形になると思っている、これまた別の意味でのバカ揃いときている。

しかし、それぞれ不足がある両者を組み合わせたら最適なのかといえば、どうもそうではないようだ。いまのところ国内で成功していると思える事例は、ほぼないと言える。よく知られたオンライン・ジャーナルである『TechCrunch Japan』にしろ、『ハフィントン・ポスト日本版』にしろ、『Newsweek 日本版』にしろ、『WIRED Japan』にしろ、もうタイトルを書いただけで誰でもわかるように、結局は他人におんぶした翻訳媒体である。これでは夥しい数に膨らんでいる、日本の人文・社会系の大学教員と何が違うのか。

なんにせよ、紙の雑誌には紙媒体として発行しても読んでもらえるだけの価値を与えられると思うのだが、購読者層として想定されている僧侶のコメントが「最終号は購入してみます。」では、どうしようもないんじゃないか。つまり、そもそも雑誌の編集方針として、オンラインだろうと紙だろうと読むに値しない内容だったんじゃないかという気がしないでもない。

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