Scribble at 2021-03-25 20:28:42 Last modified: unmodified

全てが和語であるから、まずもって表現として「やさしいでしょう?」という、思い込みで啓蒙活動をしている人たちに特有の傲慢さも感じられるし、人によっては漢語ではなく和語を専門用語のように使われると、バカにされたような気がして嫌悪感を抱く人もいるはずだ。官公庁の文書に見られるキャッチフレーズなどに動詞連用形が使われる場合は、人にこういう印象を与える事例が多いと思う。

名詞化した動詞連用形の独立的用法について

NHK の報道番組などで最近のアナウンサーが発している言葉遣いを見聞きしていると、相当な頻度で口にされているのが「学び」という表現だ。確かに、「勉強」というと能動的なニュアンスがなくなるし、「学習」だと労働組合の会議室で『共産党宣言』の読書会をしているような語感がある。しかし、だからといってこんな気味の悪い日本語を使わなくてもいいではないか。

ただ、こういう表現が最近のものかというと、どうやらそうでもないようだ。たとえば、もっと古くから「はやり(流行り)」という言い方がある。この言い方は、実は数日前に寝床で「まなび」という表現があるとここへ書こうと思いついたときに、「『まなび』という表現の流行りは・・・」という文をつくったら、なんだ自分でも「流行り」なんて表現を使っているではないかと思い至って発見したのだった。

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