Scribble at 2026-03-11 13:25:33 Last modified: unmodified

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[Gemini の解説] この論文は、自然界に遍在する「制約(constraints)」が持つ因果的な役割を再評価し、微視的な物理法則のみを唯一の因果的根拠とする「上位レベル因果消去主義(higher-level causal eliminativism; HLCE)」が、必然的に「超決定論(superdeterminism)」という極端な理論に行き着くことを論じています 。著者たちの主張によれば、変化に対する制約は、何を生み出すかではなく、特定の変化を「妨げる(prevent)」ことによって、微視的な状態空間に対して非派生的な因果的影響を及ぼしています 。例えば、振り子の紐の長さが重りの描く弧を制限したり、エントロピーが自由エネルギーの利用可能性を制限したりするように、制約は選択規則(selection rules)を導入することで可能性の範囲を絞り込みます 。一方で、HLCEは現実を微視的な物理的相互作用の集積と見なし、上位レベルの制約には説明的な価値は認めるものの、因果的な力は否定します 。しかし、ベルの不等式の破れ(violation of Bell inequalities)という量子力学的な事実を、局所性を維持しつつ決定論的に説明しようとすると、この立場は超決定論を採用せざるを得なくなります 。超決定論(superdeterminism, https://en.wikipedia.org/wiki/Superdeterminism)とは、測定の設定の選択と観測される系の性質が、宇宙初期から存在する非局所的な隠れた変数によってあらかじめ決定されているとする理論です 。著者たちは、この超決定論への帰着こそがHLCEの限界を露呈させると指摘しています 。微分方程式を用いて物理的な変化をモデル化するには、系の外部から与えられる境界条件や初期条件といった「外部条件」が数学的に不可欠ですが、超決定論はあらゆる事象が微視的フィールドによって決定されていると主張するため、こうした条件を恣意的なデータの当てはめに変えてしまいます 。結果として、超決定論は自らが説明しようとする観測事実を、単なる「付随的現象(epiphenomena)」として無意味化してしまうという矛盾に陥ります 。結論として論文は、制約を単なる抽象的な説明道具ではなく、異なるスケールにおいて物理的な可能性を組織化する「非機械論的な因果(non-triggering causation)」として認めるべきだと提案しています 。これにより、微視的な物理的閉鎖性(physical closure)を維持しつつ、生命現象におけるワークサイクル(work cycle)のような複雑な組織化の出現を、エピフェノメナル(epiphenomenal, https://en.wikipedia.org/wiki/Epiphenomenon)な記述に貶めることなく正当に評価できるとしています。

Constraints and Selection: How Higher-Level Causal Eliminativism Leads to Superdeterminism

なんだか似たような雰囲気の論説だ。さきほどは mereology の議論だったが、今度は「上位レベルの因果関係についての消去主義」などと言っている。でも、これって要するに還元主義のことじゃないのか。還元された上位の説明とか概念を消去するかどうかは、はっきり言って学問や人間がやることなのであるから、これは心理や社会の問題であって、哲学的にはどうでもいいと思うんだよね。なので、心の哲学とかでも消去主義というものがあるけど、はっきり言ってただのセンセーショナリズムでしかないと思う。消そうが消すまいが、還元可能性を認めるなら哲学としては決着してるわけだよ。

ただ、この論文が提案している constraints というアイデアは、興味深いと思う。これも、言い方を換えれば「抵抗」でもあり、たとえば何かを動かすときの空気抵抗だとか摩擦抵抗だとかが、力や加速度と同等に扱われるべき要素であるというのは、端的に面白い。これは、僕も高校時代に物理の授業を聞いていて疑問に感じた経験からも言える。物理の授業に登場する set-up というのは、たとえば台車を坂に置くような、誰もが実験でお目にかかった(あるいは参考書や問題集でもお馴染みの)事例なのだが、つり合いなどの概念を説明する単純な「モデル」という体裁で、たいていは紐の強度や摩擦抵抗などは無視される。でも、現実の世界で起きる物理的な現象は、諸条件を無視しては成立しない。この世界で成立している自然法則が「この場合は摩擦抵抗を無視して・・・」などと、手加減したり単純化して自然現象を起こしたりはしないのだ。それは、いまこうして述べたように、宇宙のなりたちや自然現象を子供じみた擬人化によってとらえようとする宗教や神話の残滓であろう。

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