Scribble at 2022-03-16 16:59:16 Last modified: 2022-03-16 17:47:15

添付画像

専門的なことをわかりやすく、スリリングにまとめた本を読みたいというのが、一般的な読者の願いだろう。

典型的な学者本。

上記は『人類はどのように進化したか』(内田亮子/著、勁草書房、2007、シリーズ認知と文化)という生物人類学ないし進化人類学のテキストに加えられているカスタマー・レビューだ。なんでも「殿堂入りベスト500レビュアー」という「ボヘミャー」という人物によるものであり、これまでに3,000も商品レビューを書いてきたという。StackOverflow についても過去に同じ欠陥を批評した事例があるけれど、CGM としてのカスタマー・レビューというのは暇人が reputation を集めるしくみなので(これに加えて実際に買っているという条件をつけるなら、もちろん成金こそが有利だとも言える。でもアマゾンで購入していない商品についても1日に5つまではレビューを投稿できるため、毎日5つずつレビューを投稿する暇人でも1年で3,000のレビューになる)、こんなのはたいてい読んでも読まなくても書けるコピペやクズみたいなレビューが大半を占めているし、既にご承知のとおりアマゾンで商品を買うと、星を5つ付けてレビューを書いて掲載されたら商品券を送るなどと納品書に印刷してくる業者も多い。結局、暇な人間か、あるいは生活がかかっているか、どちらにせよ鼻息を荒くして毎日のようにせっせとレビューを投稿すること自体に血道をあげている連中がたくさんいる。そのわりに、もうアマゾンを利用し始めて20年くらいになるが、僕はアマゾンの「ベスト1レビュアー」というユーザのレビューを一度も見たことがないのは不思議だ。

本書については、一昨日の夜に上記のようなレビューを見るに見かねて、僕は敢えて星を四つ付けたレビューを投稿したのだが、どうも他のレビュアーについて当てつけが僕の文章に含まれるからなのか、僕のレビューはいっこうに掲載されない。そこで、やや義侠心として同じ主旨の文章を同じ趣旨からここにも書いておきたい。フォームで ON 書きすると元の文章が分からなくなるため、投稿したレビューでは本書の内容を概括したりしていたのだが、それは割愛する。

もちろん、「ボヘミャー」というレビュアーが文句を書いているように、「スリリング」な教科書というものはあってよい。教科書がどれもこれも無味乾燥でなくてはいけない必然性や正当性などないわけだし、彼か彼女かは知らないしどうでもいいことだが、ともかくこうした幼稚な人々でも消化できる離乳食みたいな読み物が、大学にまで入った人間の教科書として書かれてもいいだろう。そのうち東大の教科書すら漫画で書こうかというほどの国家だ(いちがいに「悪い」と言うつもりはない。そういうものがあってもいいとは思う)。しかし、学術なり学問の入門や手引きとして、スリリングだろうと面白かろうと文字を読んで理解する能力を軽視して、ケツが出てるようなミニ・スカートの女子高生が漫画で解説してくれないと人類学の勉強ひとつできない腑抜けどもにレベルを合わせなくてはならない「高等」教育の機関や教育者とは、いったいどんなものだろうか。日本の大学を「幼稚園」などと軽蔑する人々は、それこそ50年近くも前からいたわけだが、いまや日本の大学は幼稚園どころか、何か別の種類の福祉施設ではないのかとすら言いたくなる。かような、僕に言わせればこのていどの未熟な人間が進化人類学を勉強する必要や資格があるとはとても思えないが、少なくとも彼か彼女が言う「一般的な読者」とやらが大勢で同じ願いをもつような国家としてしか存続できないという情けない状況に陥らないことを願いたい。古来、中国でも中近東でもヨーロッパでも日本でも見られたように、政治や経済や生活環境が安定したことで鍛錬や勉学や仕事を怠り享楽にうつつをぬかすようになった者は、中国の皇帝だろうと王子製紙の元会長だろうと必ず自滅している。

さて、本書は全6章のうち第1章で進化の概略を説明し、第4章までは特に性差と進化のかかわりについて取り上げている。そして第5章に至ると、なぜかヒトの進化の歴史について全般的な概説が展開されて、最終章の文化と進化の関係という話につながる。ヒトの進化については、第1章で進化の概略を説明した直後に置いても良かったように見えるが、いちおう第4章までで一区切りつけて、第5章と第6章で「文化」と進化のかかわりを語りうる範囲かどうかの違いで内容を分けているのだろう(つまり第5章はヒトの文化が起こるまでの段階、そして第6章は文化が発生してから後の段階の話をしている)。しかし、こうした推定をあれこれ考え巡らすことすら面倒臭いという、1日に何本もレビューを書かなくてはいけないレビュー職人どもにしてみれば、本書のような教科書は「典型的な学者本」とかいう言葉でしか語りようがないものなのだろう。なるほど、僕も数学について似たような批評を書くことはある。数学のプロパーに限って、体系的な叙述や文章構成を軽視した、非論理的な「詩」に近いエッセイを教科書やら入門書と称してばらまいている。しかし、本書ていどの文章を難しいとか堅いとか「学者本」などと言ったところで、これよりも雑に書かれた本などブルーバックス、あるいは苫米地某やら茂木某やら福岡某やらが書くような駄本の類しか残るまい。

また、このレビュアーは文献一覧が数十ページもあることを「著者は、巻末に30ページ以上の参考文献リストを付けている」などと愚行であるかのように仄めかしているが、文献表は一冊の書籍だけでは足りないのが当たり前と言うべき学術なり知識の体系を、他のリソースとも合わせて読者に〈ネットワーク〉として提供する、著作物の正当な一部である。確かに文献表がなくても学術研究の成果となる著作物はあるが、とりわけ教科書は基礎的な素養に集中しているため、そこからさらに学習を進めるための参考として、文献表はほぼ必須と言ってよいし、可能な限り偏りを低減させるためにも一定の分量で十分な数の文献を紹介することが望ましい。素人にそこまでの熱意を期待したり、あるいは教科書を制作するにあたっての配慮を斟酌しろと言っても無理はあろうが、そうであれば、僕のように少なくとも学術研究者としての訓練を受けた経験をもつ人間としてのレビューも書いておくのが、本書に対する一方的な評価を相対化するためにも望ましいだろう。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook