Scribble at 2023-03-05 12:58:44 Last modified: 2023-03-05 13:02:48

子供の頃から、大阪で標準語を「東京の言葉」であるかのように無理に話そうとする人々の様子を眺めてウンザリさせられてきた。僕自身は、岩手から出てきて目黒の五本木に暮らしていた母親に子供の頃からしつけられて、山の手言葉を話すようになったけれど、大阪で暮らしているあいだに大阪弁も話すようになって、いつしか混在するようになってしまった。いまでも会社で僕と話す人たちは奇妙な印象を持っているかもしれないし、実際に連れ合いからもイントネーションが関西弁と違っている言葉があると言われることがある。

大阪で、テレビを眺めているだけで東京の言葉におかしなコンプレックスを抱き、無理に「東京の言葉」らしきものを喋ろうとする人は、昔からいる。特に女性に多いのだが、若い男の子でも男性アイドルやミュージシャンなどを真似て「東京の言葉」らしきものを話そうとしている場合がよくある。でも、僕らからすれば、それらは殆ど民放や NHK のアナウンサーだとかタレントが喋る標準語にすぎない。そして、仮にそのタレントやアナウンサーが東京の出身だったとしても、彼らの多くは既に昔からの関東の方言なんて使えないのである。なぜなら、いま東京に住んでいる人の大半は、もう江戸時代以前から住んでいたような家の出身ではなく、戦後になって地方から集団就職でやってきたような人々の子孫だからである。つまり、いま大阪で「東京の言葉」を真似ているような高校生や女子社員などと同じく、見よう見まねで周りの人たち(同じく地方出身者であり、彼らの大多数は標準語のテレビやラジオの影響を受けた)と同じ言葉遣いを習得した人たちなので、結局は東京の人間も大多数は東京の言葉ではなく標準語を親から受け継いで喋っているだけなのである。

実際、さきほども編集者として神保町で働いていた時代の話を出したが、その当時に言葉を交わしていた人たち(東京生まれだろうと地方出身者だろうと)のほぼ全員が、いま思い返すと東京弁なんて全く(たとえ酒の席であろうと)話していなかった。「これから家にけーる(帰る)んだよ」とか、「あ、いけね!(いけない)」とか、「話が長げえ(長い)よ」とか、「電車がいごく(動く)あいだに帰ろう」とか、そんなこと言ってる人は全くいなかった。いまではビートたけしらのような「下町出身」を公言する人たちの言葉とされているが、その「下町」というのは東京23区でも千代田区から北側一帯を広く指しているし、そもそも昔は「街区」と言えるような地域は狭かったので(いまの目黒区なんて大半が「大江戸」と言われた朱引の範囲にも入っておらず、罪人が江戸払いされるような僻地の扱いだった)、別に浅草とか足立区のような場所だけの話ではなく、もっと広い区域で多くの町人が話していた言葉なのである。

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