Scribble at 2023-03-05 11:17:52 Last modified: 2023-03-06 09:24:35

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前谷津川(まえやつがわ)は、東京都板橋区を流れる荒川水系の河川。全区間が暗渠化され、前谷津川緑道などに整備されている。

前谷津川

僕が神田神保町で雑誌の編集者をしていたのは30年以上も前の話なのだが、当時は板橋区の西台という駅の前にあるワンルーム・マンションに住んでいた。当時は、雑誌の編集者なので実質的に定時もなければ公休日もないような生活をしていて、雑誌を発行する一定のサイクルはあるため、当月の入稿を終えた後は暫く休みが取れた。とは言っても、二日ていどだが。

休みになると、その当時は法社会学の勉強をしていたので、エールリッヒとかルーマンとかギュルヴィッチとかの訳本を手にして、自宅から都営三田線のガード下を抜けて北へ向かい、「前谷津川緑道」へ通っていた。もともと西台という町は駅の周辺を除けば閑静な、つまりは人気(ひとけ)の少ない地域であり、しかも平日の昼間となると緑道になんかいるのは僕だけだった。その緑道にあるベンチで、コンビニエンス・ストアで調達した昼ご飯を食べながら2時間ほど読書するという、たまの贅沢な時間を過ごすのが楽しい時代であった。ちょうど日本はバブル景気の真っただ中で・・・就職も応募先を選び放題だったし、馬鹿みたいに働いて馬鹿みたいな金額のボーナスを手にして、大企業だけでなく中小企業の若手社員でも都内にマンションを一括払いで購入出来たり、毎年じゃなくて毎月のように海外へ旅行しては両手に抱えきれないくらいのブランド品を手に帰国するボティコンねーちゃんと、彼女らをマハラジャへ送迎するソアラやポルシェに乗ってるような成金小僧で街中は溢れ返っていた・・・なんてわけねーだろ。たいがいの若者は、バブルの頃でもそんな暮らしなんてしてねーよ。

さて、久しぶりに都内の地域を眺めた事情もあって西台の周辺も懐かしく眺めていた。そして、「前谷津川」というから、過去に谷津川だった流域を埋め立てて造った緑道かと思っていた(「『前』谷津川」だと思っていた)のだが、改めてウィキペディアで調べてみると、初めて「まえやつがわ」という名前の川だったことを知った。そして、北の端である新河岸川付近から緑道として整備されている様子の地域をたどると、徳丸五丁目あたりまで 3km くらいの長さになることも分かった。当時は地図を持っていなかったので、なかなか実感として分からなかった(もちろん Google Maps どころか携帯できる電話なんて誰も持ってなかった)。それに「前」谷津川ではないのだから、いまだに水の流れはあって暗渠になっていることも知らなかった。加えて地図を南へたどると、実際の西台という地名のある場所は都営三田線の西台駅からかなり南にあることも分かった。

・https://ankyoneko.exblog.jp/16218944/

・https://takashima.pose.jp/taka/maeyatsu/maeyatsu.html

ちなみに、上記のページで紹介されているコースは本流のようである。前谷津川緑道の北を走る「徳丸槙の道」が元の本流で、前谷津川緑道でも不動通りあたりから南にあるのは元の支流らしい。

で、こういうブログ記事で掲載されている写真などでも分かると思うのだが、東京に住んでいない人の多くは実感がないと思うけれど、東京は実に起伏のある土地で、大阪市内なんかと比べて至る所に高台や丘陵や岡があって、とにかく坂が多い。いわゆる「坂道アイドル」なんてものがコンセプトとして成立するのは、東京に暮らしている人にとっては当たり前の感覚だと思うが、土地勘がない人にとっては「なんで東京でわざわざ坂の名前をアイドルのグループ名に付けるのか」と不思議に思うかもしれない。

それから、この一帯は江戸時代までは耕作に適していない湿地帯で、幕府の鷹狩りや砲術の演習場として使われていたようだ。長らく「徳丸ヶ原」と呼ばれていたが、幕末の砲術指南役だった高島秋帆という人物で有名になり、「高島平」という地名になったそうである。とはいえ、実際に行政区分の名称が高島平に変わったのは1968年、まさに僕が生まれた年である。

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