Scribble at 2024-08-15 19:04:44 Last modified: unmodified
これは当たり前の話だと思うのだが、誰だって哲学は知らなかった。生まれて数年の幼児が絵本の文字すら読めないのに「反事実的条件法について学びたい」などと言うわけがないだろう。そうして、多少は文字が読めるようになって身の回りに起きている色々なことを学び、親の会話に割って入るなり中期事業計画の見通しについて5歳児なりの意見を言えるようになったとしても、それだけのことで(それもそれで目覚ましい成長だが)何の脈絡も事情も欲求も目的もなしに、書店で『ことばと対象』を手に取るようになるとは思えないわけである。
誰かに勧められたのであれ、あるいは自分で何らかの経緯があって学ぶ必要を感じたのであれ、何の理由もなしに人がいきなり「哲学」に向かうわけはない。それは、人が何の理由もなしに JavaScript や管理会計や複素多様体論や中国語や半導体工学を学ぼうとはしないのと同じである。原則、あるいは理想、それとも実は歴史的な事情だけからかもしれないが、哲学は普遍的なテーマに取り組む学問であるとされてきた。昨日の夕方にだけ当てはまるような議論や、僕にだけ当てはまるような議論は、哲学のテーマではない。しかし、哲学を学び、哲学に携わるようになった経緯は、明らかに個人的でプライベートな事情や理由や目的や動機が関わっているであろう。それが「世のため人のため」であろうとだ。
したがって、哲学はまずもって自分自身について適用され、自分が哲学を志した動機や目的と思われるものを満たすことを想定していなくてはならない筈だ。自分に適用して妥当でない、あるいは妥当なのかどうか分からないような議論や概念が、どうして自分以外の全て(とりわけ「世界」)に当てはまると考えるだけで哲学の成果になるというのか。そういう思考こそ、僕が当サイトで何度も指摘してきた自己欺瞞というものなのである。