Scribble at 2024-02-03 08:28:06 Last modified: 2024-02-04 13:13:26

初めて Windows のマシンを使ったのは、大阪府立図書館が大阪市天王寺区の夕陽丘にあった頃なので(当時の3階にあった特許資料室でコピーのアルバイトをやっていたときだった)、1992年前後だ。Windows 3.x の時代であり、特許や実用新案の情報が CD-ROM として発売されており、それを検索するための端末が図書館に2台ほど置いてあった。でも、その端末を使う人は殆どおらず、色々な弁理士事務所からやってきたスタッフ(たいていアルバイトだ)は、開架に収められている冊子の索引を眺めては、必要な箇所の複写を窓口に依頼していた。そのため、Windows の端末を暇なときにいじくり回しては司書に文句を言われて元に戻されるということを繰り返していたのだが、もちろん勝手に壁紙を替えたりフォルダの設定を変更したていどで、他に何ができるわけでもないし、また何かやると怒られるので、そのうち端末に見向きもしなくなった。

その次にパソコンを使うようになったのは、神戸大の情報処理センターでシリコン・グラフィクス社のワークステーションに割り当てられたアカウントで Message Manager といった古典的なソフトウェアでメールを読み書きしたり、Netscape Navigator のような古典的なブラウザで、現時点で分かっている最大の素数を紹介するサイトだとか、その頃には公開されていた Stanford Encyclopedia of Philosophy をハード・コピーしたりしていた。そして、そのうち自分でも富士通のノート・パソコンを購入して(一太郎モデル、Windows 98 搭載の Pentium III という、ハードウェアとしては現在の2万円台のスマートフォンよりも低いスペックのマシン)、いわゆるパソコン・ライフなどと言われていた生活スタイルに移行し始めて現在に至っている。

なんで、こんな昔話をしているかというと、その頃から2024年2月3日という、いまこの現時点まで、Windows が起動するときのサウンドって、あいかわらず鳴ったり鳴らなかったりという不規則な挙動を繰り返してるんだよね。僕がたまに「民生品」という言葉を使っているのは、軍事用でもない商品に高い品質なんて安定的に保証されているわけがないし、そもそも設計段階からして民生品の商品の品質なんて材質から構造から機能やデザインやサポートにいたるまで、高く設定されているわけがないと思っているからだ。ただし、メーカーの技術者が想定する品質の水準というものが、競合だとか既存の製品の品質との比較によって少しずつ変わる。ただし、その品質は常に向上したり改善するとは限らない。場合によっては、ここまでする必要はなかったとか、あるいはインフレの際に価格の上昇を抑えるための「企業努力」と称して劣化することだってある。企業の R&D 部署やシンクタンクに勤めている人間は、もちろんノベール賞を受けるような変わり者もいるわけだが、原則として科学者ではなく企業人だ。

OS が起動するときのサウンドすら、安定して常に鳴らすことすらできないのが、現代の民生品の技術レベルなのである。何かサウンドが鳴るのを妨げるようなソフトウェアをインストールしているからだと反論したくなるかもしれないが、もしこんな基本的とすら言える機能の実行を妨害するような挙動のソフトウェアがあるというなら、僕らは何十年もそういうバグ(それは、明らかにセキュリティ・ホールだ)に気づかないまま過ごしてきたことになる。あるいは Windows という OS の動作仕様によって、他のドライバやライブラリの実行が優先されてしまって音が出なくなったりするなら、それもまたプロセス管理として問題があると思う。現代の、というか OS というソフトウェアの動作原理から言って、よほどの事情がない限り、特定のプロセスだけを優先して、他のプロセスが実行されるのをキャンセル(後回しにするのではなく、実行を抑制)してしまうほどのことはないだろう。そんな重大なことが何十年も頻繁に繰り返されていて、音声の再生プロセスを止めなくてはいけないほど優先されるべきプロセスがたびたび実行されるとすれば、それはいったいなんなのか。考えられる答えとしては、まさに音声を再生するプロセスなりドライバの挙動にセキュリティ上の問題があるということしか考えられまい。そういう理由があれば、OS として不正な挙動のプロセスに介入することには正当な理由がある。でも、そんなことがこの何十年も放置されてるって、どういうことなんだろう。マイクロソフトの技術者は、起動音が鳴ったり鳴らなかったりするという事実にすら気づいていないのだろうか。思うのだが、そもそもマイクロソフトの社員って、帰宅するときに自分のマシンを「終了」させてるんだろうか。もしかして大半の社員やエンジニアがパソコンを起動しっ放しで退出してるんじゃないのかと思うくらい、誰も起動音の挙動に気づかないってことなんだろうか。

もちろん、これは考えすぎだ。そして、これが妄想であるとすれば、残る可能性として出てくるのは、「民生品」としてのパソコンや OS やドライバの品質なんて、設計段階からしてこの程度なのだという結論である。よって、同じようにブラウザでボタンやアンカー・テキストをクリックしても何の反応もないことがあって、「JavaScript の発火なんて」とか「React 馬鹿どもは」とか書いてみたところで、JavaScript しか仕事の道具や選択肢がないなんてレベルのエンジニアどもに、そういう挙動の不安定さを改善できる技術力なんて最初から無いわけだし、かといって、ブラウザのベンダーに文句を言ったところで仕方がないのだ。だって、民生品なんだから。無償で(実際には Google も Edge も開発コストはクズ広告とか Office のライセンスとかに転嫁されているわけだが)使うものに、そこまでの品質は必要ないというわけだ。よって、僕らが使っているものは、無償だろうと有償だろうと、「そのていどのもの」だと割り切る必要がある。なんとなれば、いまや同じ程度のプロダクトが軍事用途ですら使われるのだ。多くの国では、そのへんの BOOK OFF で販売されているような中古のスマートフォンにアプリケーションを入れて、軍事作戦の通信機器として使っていたりするのだから、逆に民生品の品質が軍事用途にも耐えうると言えるかもしれないが、僕にはそこまで楽観する見方はできない。

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