Scribble at 2024-12-08 09:28:06 Last modified: 2024-12-08 09:45:30
postcolonialism には二つの極端な批評がある。
一つは、ポストコロニアリズムはリベラルや左翼だからいけないというものだ。これは、もともとポストコロニアリズムが植民地から独立国家となったアフリカやアジアなどの国々で発達した批評や文学などのスタイルあるいは観点であるという経緯から、もとの宗主国である帝国主義すなわち権威や権力への抵抗とか批判という態度を指しているのだろう。よって、こういう批評は当然のことだがフェミニズムだとか、資本の力やグローバリゼーションへ抵抗するマルクス主義などと近しいとされる。
しかし、ポストコロニアリズムにはナショナリズムや右翼だからいけないという別の批評もある。これは、もとの宗主国なり「西洋」の文化や技術や学問に対するカウンターパートとして、「東洋」などの概念を相対化のために持ち出すどころか、逆にそれぞれの国や地域への偏愛あるいはナショナリズムへと反転してしまう人々の思想をポストコロニアリズムが補強してしまう傾向にあるとされるからだ。
もちろん、どちらも当てはまる事例はあろうし、どちらも間違っているとも言えるだろう。特に、ポストコロニアリズムが地域への偏向によって「普遍的な価値観」を否定するという批評があって、これにはいささか面食らってしまう。なぜなら、そもそもポストコロニアリズムは、自分たちこそが平等や公平や普遍といった価値や基準つまりは理念とか概念を理解し共有し、いやそれどころか或るていどは実現しているなどと称して、相手に「普遍的な価値観」なるものを押し付けるような思考を批評することを意図しているからだ。簡単に言えば、仮にその「普遍的な価値観」なるものがあらゆる地域や人の理想的な価値観だとしても、それを欧米の思想としてしか定義したり実行できない君たちは何も分かっていないし実現もしていないという批評こそがポストコロニアリズムなのだ。
僕は哲学者として、無頓着に出来合いの思想やイデオロギーやアプローチに肩入れしたり、根拠もなくコミットするつもりはないけれど、ポストコロニアリズムにはあまりにも程度の低い馬鹿げた批判が多すぎる。で、そういう批評の大半が英語で書かれていたりするんだよな。