Scribble at 2022-08-28 09:33:29 Last modified: 2022-08-28 13:44:23

科学哲学、しかも或る意味で「テクニカル」と呼ばれているようなテーマとか分野に(なぜか)関心をもつ人々にとって、先に足を踏み入れている人間からの簡単なアドバイスとしては、やはり誰かの業績に学ぶという態度が必要であるとともに、〈自分で〉やるしかないという明らかな事実を改めて強調したい。

簡単な例だが、典型としてはプトナムの "Models and Reality" (1975) といった論文をはじめとして、数学的「構造」の概念が、単なる形式的な定式化といった雑な比喩としてではなく、モデル理論という具体的な道具立てとして扱われるようになった。それ以降、もちろんファン・フラッセンの "The Scientific Image" (1980) のような著作物をはじめとして "model-theoretic approach" とか "semantic approach" と呼ばれる手法が数多くの論説に採用されてきた。もちろん、これについても既に限界や欠点を指摘する議論が数多く出てきているし、かようなトレンドを常に傍観者としてコミットすることなくスルーするのが「哲学的超越」だと高をくくっている、ジャパンとか呼ばれる文化後進国の大学教員の中で、まじめにこういうアプローチにコミットしている人間などただの一人も見たことがないゆえ、このような国の言葉で学んでいる学生にはプラトンの思想に対する熱意のようなものを model-theoretic approach の〈日本語での〉議論に感じることは難しいはずである。この国で紹介されるとしても、その辺の乱読小僧どもが書き殴る「わかりやすい」哲学の本に、記号を使った格好いい議論などと〈下から持ち上げる差別〉(天皇制もこれだ)の対象として扱われ、実質的に忌避されていることだろう。

そして更に困ったこととして、この国で出版されている著作物の中にモデル理論を主題として扱った教科書が殆ど存在しないという事実だ。専門書ならかろうじて板井昌典氏の『幾何学的モデル理論入門』があるし、概論書の一部や一章として取り上げられている事例なら、もちろん新井氏の『数学基礎論』をはじめとして、まともなものが幾つかあるにしても、Hodges の縮約版(というだけで何のことか分かるのはモデル理論を勉強した人だけだと思うが)くらいの分量ですら、この国の出版社や読者層にとっては〈重い〉出版物であろう。

急いで書いておくが、実はモデル理論のテキストが〈一冊も〉存在しないというわけではない。プロパーはご承知のとおり、坪井明人氏の『モデルの理論』が出ていることは事実だが、しかし出回っている数が少なすぎる。現在の大学生や高校生が簡単に読むのは難しい。アマゾンでは(2022年8月28日の時点で)約8,000円という高額なプレミアがついているし、大学図書館や公共図書館で所蔵しているところも少ないだろう。手元に買い求められる、その辺の二束三文な連中が書く「哲学」とやらの通俗本ほど手軽に読める必要はないとしても、せめて新型コロナウイルス感染症の陽性判定を受けた人が1日あたり最大で5,000人以下の都道府県にある公共図書館でも読めるていどには、全国に普及している必要があろう。稀覯本や高額な古本を読んでいることが前提の「素養」などというものは、しょせん学問が貴族のものだった時代の〈オクスフォード流〉というべき錯覚であり、少なくとも(ここにも実質的な階級はあるが)アメリカでは認められない。

よって、1980年代以降の科学哲学で交わされている議論を正確に理解しようとすれば、簡単に言えば英語を勉強して英語でなら何冊か出ているモデル理論のテキストを読むしかない。僕の場合は、学部時代にファン・フラッセンの著作を読むために必要だと感じて最初に手に取ったのは Chang & Keisler だが、神戸大に進むと書庫に Hodges の赤い full scale のテキストがあったので、とりあえず眺めてみたものだった(その隣にあったシェラハの stability theory の分厚い二冊本は、かなり恐れ多いので目を通していない)。そのあと、皮肉なことではあるが、大学院を中退して稼ぐようになってから、やっと Hodges のテキストは full scale も縮約版も買えるようになったという経緯はある。いまだと、Chang & Keisler のテキストは古いと評価されているものの、初めて学ぶ人が読むものとして悪いわけがない。そして、この本は Dover から4,000円くらいで発売されるようになったので、内容や分量から言っても最初に買ってよいテキストだと思う。(アマゾンで調べるとわかることだが、いまや Hodges のテキストは縮約版のペーパーバックですら10,000円近い値段がついている。full scale の方だと、これもペーパーバックで35,000円ほどだ。)

とは言っても、英語で出版されている著作物ですらモデル理論については数多くあるとは言えない。日本で、たとえば微分方程式の教科書なら坂道アイドルのメンバー人数と同じくらい日本では出版されているだろうが、それはアメリカでも同じだ。モデル理論に限らず logic の教科書はどこの国でも多くはない。でも、日本に比べたらマシなのだから英語で読めるものを求めるのが妥当だろう。

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