Scribble at 2024-03-10 14:43:03 Last modified: 2024-03-10 14:47:57

中学から高校時代にかけて住んでいた大阪府東大阪市には、昨年のはじめに閉館となった東大阪市立郷土博物館が運営されていて、特に中学時代は考古学者を志望していたので、自宅から毎週のように自転車で郷土博物館に通っては、周辺に分布している山畑古墳群の古墳を眺めたり、郷土博物館では職員の事務室と研究室への出入りが認められて、多くの資料を利用させてもらった。その後、先日も書いたように考古学とは別の分野を専攻することとなって、かれこれ40年近くも考古学の勉強からは離れていた。(ただし、学部時代に神戸のハーバーランドという施設の建設に伴う東川崎町遺跡の発掘調査の助手を勤めたことはある。もちろん正式な調査報告書にも僕の名前は記載されている。https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/search/item/67821)

その中学時代は、あまり精密で体系的な勉強を続けたとは言えないものの、古代、特に弥生時代と古墳時代の色々な研究対象やテーマに手を出して、それこそ邪馬台国だ天皇陵だ高地性集落だカーボン・デーティングだ航空考古学だセトルメント・アーキオロジーだと、古典的な話題から当時の先進的な話題に至るまで関心を注いだ覚えがある。そして、当時の地方自治体で働いていた職員や学芸員の多くは、当時の「考古学ブーム」に対するサービスの一環としても、かなり寛容に市民(僕も市民の一人だった)の要求に応えてくれていたわけである。子供が図書館で借りたり自分で買える本には限りがあるので、博物館に所蔵されている資料を自由に読むことができたのは幸いだった。

そういう博物館も閉館となり、この後の再利用については東大阪市で検討されているようだが、僕の通った博物館は建物の老朽化によって再利用は困難であろうから、恐らくは建て替えられるか、あるいは博物館ではなく発掘した遺物の収蔵庫などに転用されるのかもしれない。いずれにしても、あの博物館でいっときは「学恩」と言ってもいいくらいの待遇を受けた者として、博物館、それから僕が最も関心をもって調べた山畑古墳群という史跡を記念するサイトを作ろうと計画を立てて準備を続けている。

もちろん、僕が制作して運営するのであるから、何らかの独特な方針はある。たとえば、僕のサイトでは「古墳時代」という言葉を使わないつもりだ。これは概念としても曖昧だし、或る意味では特定の視点なり脈絡で時代を規定する傲慢さも感じるからである。確かに、だからといって現代のように元号で区切る方がいいかというと、それも実は大して意味がないと思う(なので、「昭和史」とか「平成史」などと言われても特別の社会科学的な意義があるとは思わない。寧ろ、そんな基準で時代を区切ろうとする物書きや出版社が絶えないのはどうしてなのか、という皮肉な理由でしか意義がないと思う)。よって、僕のサイトでは「5世紀」(もちろん西暦や太陽暦、あるいは1年という基準ですら、人が勝手に基準にしているだけのことなのだが)のような区分だけを採用するつもりだ。

それから、僕は郷土博物館の記念サイトではなく、山畑古墳群という史跡のサイトを「オンライン博物館」という体裁で制作しているので、やはり話題の中心は古代となる(郷土博物館であれば、たとえば江戸時代の河内木綿だとか昭和初期の針金工場とかも話題として扱うことになる)。すると、よくあるのが「日本における『国家』形成」というテーマだ。古代史や古代学という分野では避けて通れない話題の一つではあるが、僕はこれについても原則として取り上げない。しかし、それは支配関係だとか格差の発生とか、そういう社会科学的なアプローチを軽視したり無視すると言っているわけではなく、単に妥当であるかどうかも分からない「国家」という概念を古代の情勢に当てはめていいかどうか、軽々には判断できないからだ。

たとえば、現行の考えでは(典型として外務省の見解を参照すると)、「国家」の要件は、(1) 永続的住民、(2) 一定の領土、(3) 政府、(4) 他国との関係を取り結ぶ能力(外交能力)である。すると、この定義に照らして言うなら、日本の古代に「国家」は存在しない。まず、朝廷は「政府」と言ってもいいし外交能力もあったが、(正確でもなんでもないが)戸籍が整備され始めたのは7世紀末の「庚午年籍」だし、領土の確定もしていない(領土を確定していないのだから、正確な戸籍が作れるはずもない)。しかし、多くの研究者はこういう基準を採用せずに、それぞれ勝手な基準を使って「国家」があったかどうかを議論しているのが実状だ。というか、学校で使う教科書ですら「国家」という言葉を使っている。こんなデタラメな状況に従う必要はない。僕に言わせれば、当時の人々には概念として(現代の概念で定義された)「国家」がなかったと言えるのだから(当時の人々が現代の「国家」という概念をもっていたなどというのは、小学生レベルの時代錯誤だ)、古代に「国家」があったかどうかという議論は全て無意味である。勝手に基準を押し当てても、当時の実状を正確に理解することはできない。もちろん、どういう当時の実状であろうと、僕らはいま僕らがもつ現代の分析能力や推定能力を使って理解したり定式化したり概念として定義する他にないというのも事実だ。よって、僕は「国家に相当するクオリア」を求めるようなオカルト研究を推奨しているわけではない。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る