Scribble at 2024-06-26 17:55:18 Last modified: 2024-06-27 11:32:27
連れ合いに紹介してもらった記事だ。一般的な内容としては事情はよく分かるところが多々ある。ざっと一読する価値はあろうかと思う。それから、この記事が掲載されているメディアがエンジニアの転職をサポートするマッチング・サービスという点を確認しておこう。つまり、この記事を読んでいる人の大半は、既にどこかの会社で働いている技術職だったり、あるいは他の職能でも技術職への配置転換と合わせての転職を希望している人かもしれない。何にしてもシステム開発について全く未経験の素人や、素人であっても配置転換を希望している職能について何も知らないという人でもないという前提は置いておく。
まず、こういう日本だけで有名な「スター・エンジニア」の文章を読む場合に留意することとして、やはり彼のような「スター」でもグローバルなスケールでは箸にも棒にもかからないようなレベルの人材であるという、冷静な視野をもつことも大切だ。彼が関わったサービスに比べたら事業規模なんて 1/10 もないサービスを運営する会社の人間が言うのは非常に無礼なことかもしれないが、これからウェブのエンジニアを志望したり技術関連での就職を考えている高校生諸君が目指すには、かなり低い目標だと思う。簡単だが、Hacker News で "naoya ito" を検索してみたらいい(1件もヒットしない)。まぁ日本の IT ベンチャーや IT ゼネコンで適当に金を稼いで、鬱病になる寸前の30歳くらいになったら長野県にリタイヤして、週末だけ開く趣味のパン屋とかジェラートの店で食っていきたいとかいうささやかな希望でもあるなら、この程度を目指せばいいのだろうけど。
CTO が社内の技術的な問題だけを解決していればいいわけではないということくらい、それが大企業によくある IR 向けのお飾りみたいな「天才エンジニア」とか「有名エンジニア」でもない限りは、最初から求められていることとして弁えているはずなんだよね。当社にも、その手の「国内だけで有名なエンジニア」というのが技術顧問として入っていた時期があったけど、技術が分からない営業やサービス運営担当者を相手に何を話していたのやらまるで分からないし、その成果がどうだったのかもこっちから聞き出そうとしない限りは不明なままだった。これでは、会社全体どころか、僕らのような他社の技術顧問すらできるレベルの人間から見ても、そういう人たちが会社に貢献しているとはとても思えないんだよね。
この伊藤氏も、色々な企業で CTO をやっていて、いわば CTO の経験者でもある。だから、この一休という会社の事例では、既に幾つかの会社で CTO を経験している人物だからという理由(思い込み)で何も言われなかったのだろう。そして、言われなくても済むという場合も多々あるだろうから、これはこれで経営陣の中での確認が不十分だという経営サイドの中でのミスと言ってもよい。彼自身が書いているように、技術的な観点で問題を解決するだけのことなら技術部長がやればいいというのは、まさにそのとおりだ。
でも、僕は情シスと情報セキュリティをあわせた管掌の技術部長だが、それでも会社全体の情報管理だけにとどまらず、それをどうやって自社のブランディングや事業価値の向上に結びつけたり、あるいは営業先の相手やサービスの利用者に意義や効用として訴えるかについても、考える責任があると思っている。なぜなら、僕は部長というだけではなく CPO (chief privacy officer) という役職もあるからだ。取締役ではないから執行役のトップ・マネジメントよりも権限は弱いが、それでも社内規程を起案したり、導入する機器やサービスの可否を判断したり口を挟む権限もあるし、もちろんプライバシーマークに対応するマネジメントの中心で働いているという自覚なり自負がある。ということは、逆に言って会社全体の事業価値に関わる責任があるということだ。これは、offier 待遇の人材はたいてい取締役でもあるが、執行権限があるかどうかにかかわりなく、officer を名乗っている人間にとっては、はっきり言って当たり前の常識である。こんなことは、アメリカだと熊と一緒に勉強してるような地方大学の MBA クラスでも教えてることだよ。
ということなので、記事に書かれている内容に学ぶべきことは多いわけだが、はっきり言わせてもらうと CTO として悩むレベルが低すぎると思うね。技術職が、そもそもサラリーマンなり企業人として会社の売上とか事業価値とかブランディングというパフォーマンスと無関係に仕事をするということ自体の良し悪しを議論してる時点で、レベルが低すぎる。それは、逆に彼がニフティや Hatena や GREE といった、IT ベンチャーとしても業容の大きな会社に最初からいたことによる視野の狭さに起因すると思うんだよ。それこそ10人くらいの規模からスタートした IT ベンチャーだったら、エンジニアがコーディングやシステムのアーキテクチャだけ考えていたらいいなんて言うのは(知財で大手に買収されることだけが目的でもない限りは)ありえないことなんだ。つまり、「ビジネスとエンジニアリング」を分けて考えて、自分たちはエンジニアとしてどうすればいいかなんて考えている時点で間違っているのだ。彼自身はサラリーマンではないけれど、少なくとも彼が記事を書いて相手にしているサラリーマンは、あくまでも企業人であることから出発するべきであって、エンジニアリングがアイデンティティの中心にあるとか、エンジニアリングとビジネスとで優先順位に悩むなんていうのは、それは企業人ではないんだよ。さすらいの料理人みたいなもんで、役員だろうと下っ端だろうと、会社にいてもらうと困るんだな。もちろん、エンジニアとしてどうしてもビジネスの理屈で求められるものを設計したり実装することには抵抗があるというなら、説得するだけの材料を揃えなくてはいけない。でも、いくらそこでコンピュータ・サイエンスのアルゴリズムとしての理屈を言ってみても、ビジネスとして説得力がなければ、企業においては無意味である。
これは自社の実例だからお恥ずかしいことなのだが、10年以上も前だから書いておくと、かつて当社でも、会社やサービス全体のパフォーマンスとかユーザや顧客にとっての価値を考えない、個人事業主の集まりみたいな状況になっていた時期があったんだよね。広告代理店ごと(さらにはトップ・クライントごとだとか、代理店の営業担当者ごと)にチームを分けて、それぞれが独立採算みたいにして案件をさばいていた。しかも、案件をリードしてるディレクターがミナミの客引きみたいなことをしていて、受注した案件を進捗担当に渡したら次の仕事を探しに出てゆき、トップ・クライアントや代理店の連中と飲み歩いたり、サバゲーに興じたり、東京へ行ってコトラーだポーターだの講演会に参加したりする。そうして、「クライアントの都合」だの「打ち合わせ」だのと、社内の会議や行事を全て無視する。もちろん、単純な仲間意識どか所属意識とかだけが重要だとか程度の低い日本人的な精神論を言っているわけではないが、会社としてのバリューをどう形作ったり積み上げていこうとしているのか、彼らには何も自覚がない。単に目の前にいる広告代理店の営業と「なかよし」であればいいというわけだ。こういう、企業人というベースのところで無自覚な人は、どれほど職能として有能であっても、やはり組織にいる必要がないし、いてもらっても困るのだ。実際、こういう人がいても大して売上や営業利益なんて増えもしていないし、個人的な人間関係だけで仕事をもらっているため、人間関係が切れると会社のパフォーマンスを改めて訴える力が無くなってしまう。誰それの紹介で担当した、この会社のこういう案件をやりましたということしか言えないのだ。そんなものは、ウェブ制作会社のケーパビリティとしてはナンセンスでしかない。
あと、これはもう何回か書いてるから、伊藤氏の記事に絡んで言うのも気の毒なことなのだけど、エンジニアに UX を考えさせるというのは、やはりどうしても「フルスタック」という下らない流行を後追いしているような話になってしまっていて、僕は会社の人材育成という(CTO クラスなら考えるべき)観点から言ってもよろしく無いと思うんだよね。なぜなら、「フロント・エンドの使い勝手に頓着しないエンジニア像」というのは、単に未熟なエンジニアの、ロジックやコーディングだけに偏った頓智坊主的な志向を(話題が「一休」という会社の事例だから言ってるわけではなくて)、色々な天才伝説と一緒にエンジニアのディフォールトの思考や態度だと錯覚しているからなのだ。そもそも、そういう未熟なところがあっても特筆するような才能があったからこそ、そういう伝説的なエンジニアは受け入れられたり評価されたのであって、それがエンジニアの常態だというのは錯覚だと思う。僕がデザインも開発もできるのは、別に並外れた才能があるからではなく、こんなのは海外だと "developer" なり "creator" という職能として当たり前だからなのだ。だって、自分自身で使ってみて使い難いシステムに満足する人なんて、エンジニアだろうといないはずなんであって、自分はエンジニアだから UI は分からないとかどうでもいいなんて言ったり思ってる時点で、既にその人は或る種の「右脳 vs. 左脳」みたいなインチキ脳科学とかに騙されてるんだよね。