Scribble at 2024-06-26 16:29:09 Last modified: 2024-06-26 16:47:01

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SNSで著名人をかたる偽広告を介した投資詐欺被害が多発しているのに偽広告を放置したとして、被害者がフェイスブック(FB)などを運営する「メタ」の日本法人(東京)に計約2300万円の損害賠償を求めた訴訟で、同法人が、広告の真実性を調査した上で虚偽広告を利用者に提供してはならない義務について否定することがわかった。神戸地裁で27日にある第1回口頭弁論で、請求棄却を求めるとみられる。

SNS偽広告訴訟、メタ日本法人「注意義務ない」と否定する方針…あす神戸地裁で第1回口頭弁論

広告を配信しているメディアやプラットフォームだけに限らず、出会い系サイトやクラウド・ソーシング系の求人サイトなんかも、「弊社は『場所』を提供しているだけであって云々」という口答えをするのが定番だ。よくさ、賭け麻雀を主催してるヤクザも「場所を貸しただけ」みたいなことを言うわけで、こういう広告宣伝でも風俗でも人材派遣でも、要するにカタギじゃない商売をやってる連中なんて、言うことはみんな同じだ。恐らく、自分たちのやってることに後ろめたさがあるという点では共通だからだろう。

だが、場所を用意しているだけで、あとは何をやっても自由であり知りませんというのでは困る。いくら Meta を始めとする GAFAM や大企業の経営陣に多いとされるクルクルパーのリバタリアンでも、あらゆる商行為が認められるわけでないことは、ご存知であろう。臓器の売買や人身売買、あるいは復讐とか腹いせが目的のレイプや傷害や殺人の依頼など、金を払って請け負う者がいれば何でもかんでも経済活動として許容されるわけでないことは分かるはずだ。そして、何が良くて何が認められないかを、それぞれの国で共有されていると考えられる価値観という基準で決めていることも知っていると思う。それゆえ、嘱託で安楽死が認められる国もあれば、認めていない国もある。あるいは、東アジアの辺境地域のように、多くの国では許容されないどころか変質者扱いされるような幼女趣味の、夥しい数のアダルト・ビデオやゲームや雑誌類を続々と制作して若者から高齢者までの幅広い層(もちろん女性も含まれる)へ売りさばき、「ジャパニメーション」などと言われる文化というか習俗の一翼を担っているクレイジーな国家がある。イスラム圏では大人が相手あっても許されないような映像や画像を、「アイドル」と称して SNS などで配信していたりする(例の、都知事選挙で話題になったモデルも「アイドル」を自称しているらしい)。

しかるに、それぞれの国の価値観に照らして許される事業や産業、そして許されない事業や産業というものがあるのは、別に自由主義経済という制度と矛盾しているわけではない。こんなことは、もう半世紀以上も「表現の自由」にまつわる子供の喧嘩みたいな議論で延々と続いてきた話だ。そもそも自由の概念を掲げた近代のヨーロッパですら、あらゆる自由の観念には一定の制約条件があり、もともと歴史から言っても無制約な自由など誰も主張したり求めたり議論してはいないのである。よって、われわれが国の制度として、それから僕らが個人として、例えば人材紹介業や人材派遣業を文化や規範という観点から言って許容できない(つまりは、「賤業」のように必要であっても忌み嫌われる仕事とは違って、そもそも存在しなくてもよい仕事のこと)と判断しても、それは事業活動の自由に反することでもなければ、職業選択の自由、つまりは憲法に反することでもない。そういう事業があるなら、それはそもそも選択肢に入らないからだ。法が保障しているのは、選択肢から選ぶ自由であって、選択肢にどういう事業や仕事を含めてもよい自由などではない。

もちろん、もしそういう事業や産業を担う権利がほしいとか自由を得たいというのであれば、それを必要とする人が選択肢の中に追加してもらえるよう努力しなくてはいけない。ただ単に「自由だ」と口先で空論を発していても、われわれのように歴史をちゃんと理解している大人には通用しないからだ。リバタリアンのような「観念的専制主義者」、つまり自由という単なる観念を社会に強要しようとするファシストどものように、ただの「自由」などという自分勝手な観念だけで人を説得できるものではないのである。Meta を始めとする GAFAM の多くは、この手のリバタリアンが動かしたり支えているのであるから、自由主義経済であっても好き勝手と自由は異なるという、大人として当たり前の常識を教えてやる必要があるのではないか。

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