Scribble at 2024-09-13 09:32:29 Last modified: 2024-09-13 10:18:14
We are introducing OpenAI o1, a new large language model trained with reinforcement learning to perform complex reasoning. o1 thinks before it answers—it can produce a long internal chain of thought before responding to the user.
現行の生成 AI には多くの用途があって、その一つに学術研究のサポートも含まれる。そして、この記事が伝えるように大学院生並の情報処理ができるというなら、これはほぼ推論プロセスだけについて言えば実用化の段階に入りつつあると言って良い。
この場合に、着目すべきことは、もちろん「シンギュラリティ」なんかではなく、現実のわれわれ学術研究者が生成 AI を使って単純な推論を強力に推し進めていくということだ。学術研究に携わる際の認知過程は何も「天才的なひらめき」などという御伽噺で語られるようなものだけではなく、たとえニュートンやアインシュタインやゲーデルであろうと、彼らの研究活動の大半は膨大な量の推論である。これは、もちろん藤井聡太氏を初めとする棋士についても言えることだろう。そして、僕がつねづね会社でのマネジメントについても指摘している、「なんで凡庸なサラリーマンは推論というものをしないのか」という意見でも示唆しているとおり、これはやろうと思えば凡人でもできることなのだ。
たとえば、与件あるいは初期条件として営業成績が振るわないという事実を置こう。そうすると、その原因として考えられるのは、人材のスキル不足や商材のミスマッチなど、幾つも挙げられるだろう。僕の印象で言えば、営業マンが成績を出すために考慮するべき景気のパラメータや顧客の生活状況などを正確かつ詳細に、可能な限り MECE(Mutually Exclusive, Collectively Exhaustive)となるよう洗い出していけば、誰であれ項目として100や200は出てくる筈だ。もちろん、顧客に関する情報の多くは個人データであるから、手に入れられる保証はないし、手に入る法的に正当な理由があるとも限らない。すると、その欠落したパラメータについては、(1) ceteris paribus(条件が同じである)と仮定するか、あるいは (2) 別のパラメータから推定するかのどちらかとなる。そして、他のパラメータから推定するための理屈として、色々な分野、それこそ心理学や社会学や税法や財務会計や児童教育などなど、人の社会や生活に関わる色々な知識が求められることもあろう。そして、それらが必要だと分かってさえいれば、学歴など関係なく「何を」すればいいかはわかる。つまり、調べたり、学んだり、理解したり、自分の理解が間違っていないか検証したりするという作業だ。つまり、それが分かっていて実際に自分の手足を動かすかどうかだけが、有能なサラリーマンとしてのコア・コンピタンシーがあるかどうかを決めるポイントなのである。
しかし、これはまだ初期段階にすぎない。顧客や市場や商材についてのモデルが組み上がったら、そこでビジネスとして必要なことはなんであるかを仮定したり考案しなくてはいけない。そして、考案してよほどの馬鹿げた仮定やプランでもない限りは、大きなリスクがないという前提のもとで、実地に試してみることが求められる。やらなければ結果はわからないからだ。そして、その不明な状況でも一定のリスクをとってチャレンジできることが、会社、つまり組織で仕事をしているメリットなのである。そうして、チャレンジするときには、どれだけの回数なり期間で効果があるかどうかを判断するべきかを決めておかないといけない。ベンチャー企業の場合は、資本が潤沢ではない場合も多いため、たいていは営業手法なんて1週間で判断しないといけないだろう。つまり、或る施策なり営業手法を「次の会議まで」などと不合理な単位で扱っていては、必ずビジネスとしては後追いになり、自分で自分のケツを拭くことが仕事になってしまう。ただ、最近のビジネスの現場によくある錯覚として、何かの施策や営業手法に SFA などのツールを使うことが多く、そうしたツールは月額単位で契約しているため、どうしても「月単位」で結果を評価するという習慣がついてしまっている人が非常に多い。もちろん、相手の大半も勤め人だったりするので、支払いとか何かを決める単位として一ヶ月ごとに決めていることだろうから、決して不合理だというわけではないにしても、1週間ごとに効果を見ても決められないという、もっと長いスパンで効果を測るべき事情なり理由があるなら、それもまた実際に効果が一ヶ月などの単位でわかるというはっきりした特性をもつパラメータと関わっていると考えるべきである。単に思い込みで「1週間では結果がわからない」と漠然と思っているだけでは、では1ヶ月ならわかるのか、四半期か、半年か、という問いに答えられず、それでは計画的にマネジメントしていることにはならない。
・・・とまぁ、こういう推論をそれこそ数分や数時間の単位でどんどん進められるようになるのは、僕には驚くべきことだ。活用の仕方によって、単純な推論だけをやればいいタスクについては、相当に強力なツールを手にしていることになる。もちろん、これをビジネスだろうと学術研究だろうと、あるいは趣味や自分の人生にであろうと、活用しない手はない。もちろん、人の生活や仕事や思考などなどが、こういうことだけで決まるわけでもないし、こういうことだけが重要なのでもないが、だからといって強い理由もなく軽視したり遠ざけるのはナンセンスというものだ。
それから、こういう推論の習慣がない人に、僕らのような上長が推論を促すようにフィードバックや部署の会議などで質問することを、最近はまるでパワハラであるかのように「詰められる」と言う人がいる。凡人というのは、自分が凡人であることを白日のもとにさらされるのを嫌がるため、自分がふだんから何も考えていないか考える習慣すらないことを他人に指摘されることを恐れる。したがって、そういうことをやる哲学者とか、会社の役職者とか、僕はその両方だけど、そういう人々の言動を一種の圧力、場合によってはハラスメントだと感じるらしい。なので、兵庫県の知事はともかく、僕は会社ではこういう「詰める」ようなことを他人に向かってやったりしない。研修の教材などでヒントは出すし、ものを考えるきっかけを示すことはあるが、僕は基本的に偽善者であるから、そういうサポートを善人ぶって示しはするが、有効に利用しない人にまで手を差し伸べたりしない。これは哲学という学問でも言えることだが、僕は哲学するべき状況にある人たちには、AV 男優だろうと小学生だろうと哲学してもらいたいと思うので、そのサポートとなるようなテキストを提供したいと思っているけれど、そういうテキストを読めとか読むべきだとは思わない。それは本人が決めることでしかなく、不要という人には何も助言しない。