Scribble at 2026-06-04 19:13:08 Last modified: 2026-06-04 21:41:07

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This declaration calls for action to address the challenges posed by the use of artificial intelligence within mathematics research. It is the result of a community initiative and is endorsed by the International Mathematical Union (IMU).

Leiden Declaration on Artificial Intelligence and Mathematics

「人工知能と数学に関するライデン宣言(Leiden Declaration on Artificial Intelligence and Mathematics)」というのが6月2日に公表された。この宣言は、数学研究に AI を導入した成果の急速な進展に対して、数学プロパーのコミュニティが直面している課題と守るべき価値や基準、それから具体的な行動指針(推奨事項)をまとめた声明だ。この宣言は国際数学連合(International Mathematical Union; IMU)の承認も受けている。これに比べて、何年か前に「GPTの哲学」とか騒いでいたアメリカの分析哲学者や科学哲学者のコミュニティ、あるいは低レベルな茶話会のようなカンファレンスを繰り返している東アジアの「日本」とかいう辺境地域の研究者などは、何の指針もスタンスの表明もしていない。

でも、よく考えたら当たり前なのかもしれない。なぜなら、Paul Thagard が Computational Philosophy of Science (A Bradford Book at Harvard University Press) で LISP のコードまで付録に付けて人工知能や自動証明のアイデアを科学哲学に導入しようとしたのは1988年である。もちろん、その出版までに彼は何年かを準備していたであろうから、少なくとも科学哲学では1980年代の中頃にはコンピュータ、しかも人工知能なりエキスパート・システムを研究に取り入れようとした人々がいたわけである。確かに個人的なプロジェクトとしては大きな成果を上げられずに、学界というスケールで見ても普及はしなかったわけだが、いやしくも物事の本質を探究しようという人々が表面的な制約や成果の数だけで人工知能の可能性なりリスクを理解するどころか考えようともしなかったというのは、やはり学術研究分野の総体として「未熟」の烙印を押されても文句は言えないだろう(「無能」という言葉を使われないだけマシだと思ってもらいたい)。そら、山形浩生氏や黒木玄氏といった、口先では寛容なことを言っていようとしょせんは「(科学)哲学嫌い」としか言いようがない連中に DIS られるのも無理からぬことである。

さて、そういう業界話は瑣事の極致であろうから、本題に戻ろう。この宣言の内容は、主に数学の研究が依拠している価値と、AI がもたらす潜在的な脅威、そして研究者個人や研究機関への推奨事項という内容で構成されている。

まず、数学の研究者コミュニティなり研究者個人が AI を導入する(または拒否する)にあたっては、以下の価値観を維持することが重要だとされている。(1) 数学の証明は、最も高い確実性をもたらすだけでなく、なぜそれが正しいのかという理解を人間に与えるものであって、これが科学的な研究における誠実さの基礎になる。(2) 研究の成果は、それを発見した者、そして発見したことの正しさに責任を持つ特定の人物に帰属する。(3) 数学の議論は透明であり、原理的には独占的な知識や特別な装置がなくても、第三者が独立して検証可能であるべきものだ。(4) 数学は単なる成果の寄せ集めではなく、研究の方向性や手法を自律的に決定してきた研究者のコミュニティによる、理解・明晰さ・判断の営みである。

そして、現在の AI にかかわる理論や技術や実装(商品サービス)は、上の価値観、特にこれらの価値観を習得して共有するべく啓発されたりトレーニングされる学生や若手研究者に対して、次のような脅威を与えている。(1) 正しい証明と区別がつきにくく、誤った、あるいは信頼性の低い議論が自動生成され、査読(ピアレビュー)システムに過度な負荷をかけている。(2) AI のモデルを開発するにあたっては、公開された数学的共有財産(コモンズ)を大量に学習しなくてはならないが、元の論文を適切に典拠として引用せずに文章やグラフなどを出力することが多く、著作権やライセンスの違反になる事例すら含まれる。(3) AI の利用そのものや、AI で解決しやすい問題が過剰に優先されたり肯定的に評価されるようになり、従来の雇用、資金獲得、業績評価の仕組みが揺らぐ恐れがある。ハイスペックなマシンを持たない研究者や、生成 AI サービスを大規模に動かす資金をもたない研究者、あるいは単純に Python や LISP が書けないというだけの理由で特定の人々が不利になる。(4) 論文の公開や査読を経ずに、プレス・リリースやブログ等の商業的なメディアやタイムラインで成果がプロアクティヴに(あるいはフライングやプロパガンダとして)発表されることで、一部の研究成果や技術が過大評価され、人間の事前の貢献が過小評価される傾向がある。(5) 生成 AI を開発しサービスを提供している巨大 IT 企業の参入により、研究の重要性の本質よりも「AI で自動化して成果を出しやすいかどうか」というマーケティング的・政治的に邪悪な基準で研究テーマの優先順位が決定されるリスクがある。(6) さらに、AI への投資がもたらす軍事利用、大量監視、環境破壊などの重大な政治的・倫理的・法的・生態学的な懸念に対して、数学者が無自覚に加担してしまうリスクもある。

こういう次第で、この宣言では数学の研究者に次のようなことを勧めている。(1) 論文に「使用ツールおよび計算資源の開示(Tool and computational resource disclosure)」というセクションを設けて、大規模言語モデル(LLM)や自動証明エージェントなどの使用実績を透明に開示すること。(2) 自動化の技術を使用した場合でも、議論の正しさや適切な典拠表記に対する責任は、全面的かつ排他的に著者(もちろん人間の著者)が負う。AI に著者(Authorship)としてのクレジットや責任を与えてはならない。これは、ときどき冗談あるいは真面目に自分のパソコンや飼い猫や娘(何かのヒントをくれたとか、研究の環境を維持してくれたといった理由で)をクレジットする人がいるけれど、こういう風習も相当に目立つ注釈でエクスキューズしていない限りはやめたほうがいいのだろう。(3) AI を利用するツールが適切な引用を行わない限界を自覚・警戒し、人が能動的にルーツとなった研究を探してクレジットを与える義務がある。(4) この宣言の価値観に合致するようなツールを選ぶ。また、商業サービスや製品の過大な宣伝に対して、専門知識を持った数学者が公の場で冷静な保留や解説(ジャーナリズムへの協力など)を行う。(5) 自分自身の研究が、戦争、抑圧、差別、あるいは民主主義の浸食として社会に悪影響を及ぼさないかどうかを評価し、必要であれば有害な研究や外部とのパートナーシップから手を引くことが求められるという。

まず、この宣言はサポートするだけの価値があると直感したので、僕も上のサイトで Signature を加えた。ORCID iD を持っていれば簡単に賛同の意志を表せる(ちなみに、名前や所属は表示しても良いと承諾したのだが、どういうわけか Signatories のページには掲載されていない)。それから、この内容は弊社でさきごろ公表した「AI 活用ポリシー」の改定版に反映させたいと思った。特に、HITL (Human-in-the-loop) の必要性を数学者コミュニティですら実感しているという事実は重い。

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