Scribble at 2023-05-11 08:55:33 Last modified: 2023-05-11 11:30:05

アニメの評論家として知られる岡田斗司夫という人物が、こういうことを言っている。ウェブは数多くの知らない地域や人物や集団や仕事や分野の情報が膨大かつ詳細に学べる媒体などではなく、既にどこかで知っている情報についての膨大かつ詳細な、しかし無知や未熟さによって大半がデタラメであるか実質的には偏見でしかない意見や解釈や宣伝が刷り込まれる媒体である。なるほど、極論ではあるけれど一つの提案としては興味深い。確かに、日本の凡人であるみなさんは(僕も含めて)、ブルガリアにある小さな地方都市でパン屋を営む人物がブログに何を書いているかなんて知らないし興味もない筈だ。それよりも、既に周りの人たちが知ってる話題についての情報が欲しい筈である。それが、子供の通う学校で翌月にどんなイベントがあるかという切実で生活に即した話題であろうと、あるいは日本の天下国家にかかわる制度や政策の話であろうと、そもそも自分にとって関心があるかどうかで最初から無視している話題が無数にあるという事実は変わらない。そして、もちろんこれは学歴や才能や生まれ育ちとは殆ど関係のない話であるがゆえに、犯罪集団や各国のインテリジェンス組織やヤクザやカルト教団は、このようなバイアスを避けるためにどうするべきかを新人に教え込む手法をもっているわけである。「メディア・リテラシー」だの「ダイバーシティ教育」だのを教えている教員(その大半は、小学校から大学教授まで含めて、情報操作に関するペーパー・ドライバーにすぎない)に学ぶくらいなら、経済ヤクザの集団で新人にどういう情報操作や情報管理を教えているかを学ぶ方が桁違いに有益である。日本で、在日エリアや同和地区に善人ヅラして入り浸ったり AV 女優のケツを追いかけるしか能がない社会学者は、もっとこういうことを学ぶべきだろう。

これは、ウェブというものが本質的に媒体つまりメディアであって、それは多かれ少なかれ(たとえ学術ないし技術の研究だとか軍事的な通信という目的であろうと)発信者と受信者との非対称性によって成立したり維持するものだという事実からは避けられない特性だと言える。既に話題となっているメジャーな事実や事件(というよりも「キーワード」と言った方が正確だろうか)に関連して何かを書く方が「ヒットする」からであり、オンラインではヒットして検索結果の上位に出現することが価値の基準だからである。よって、テレビやラジオや新聞といった旧式メディアが受動的であるのにに比べて、ウェブというニュー・メディアは能動的であるなどと子供のように語っていた人々は、それ自体が広告宣伝であるという自覚すらなかったわけである。実際にはウェブも、或る意味では(つまり当人に自覚があろうとなかろうと検索エンジン企業に依存している限りは)発信者とメディアそのものによって受信者の嗜好や思考をコントロールしている、受動的な使われ方が多い媒体なのだ。そして、こういう媒体を宣伝して回っている人々は、プログラミング言語とかアプリケーションの開発プロジェクトとか、あるいは新しいクラウド・サービスのプロモーションを担当しているエンジニアたちと同じであって、彼らの中には善意で事実を伝えていると思い込んでいる人がいたりするけれど、彼ら自身が無自覚な営業マンなのである。

ひところ、どう考えても PC 的に不適切と思われる "evangelist"(本来はキリスト教のプロテスタントという宗派で伝道師を意味する言葉だ)といった宗教用語が当たり前のように IT 業界で使われていた時期があった。これがイスラムや仏教徒からの意見で使われなくなったのかどうかは知らないが、いまではこうした言葉遣いは殆ど IT 関連のメディアでは見かけなくなっている。かように、無垢で純粋な動機で自分たちのやっていることを気軽にキリスト教の言葉やアングロ=サクソン、それどころか白人として自然な言い方で宣伝している人たちがいて、それを当たり前のように使うインド人やロシア人がアメリカで「準白人」としての地位を築いていったわけである。

現在でも、似たようなことはある。たとえば、歴史や地理や文学なんてどうでもよく、科学と技術(そして、そのために必要なファイナンス)だけを子供に教えたらいいと豪語する STEM 教育を宣伝している無邪気な3流エンジニアやリバタリアンは、自分たちが歴史や地理を知らなければいけなかった色々な差別からは脱しているという思い込みによって、後は技術と金融さえ知っておけばいいという IT 企業の成金エンジニアどもが言っている採用基準を公教育にそのまま持ち込もうとする(これが、リバタリアンのよくやる「梯子外し」だと理解しているアメリカ人はそう多くない)。かくして、5歳の子供は Python の本や相対性理論の本だけを親から与えられるようになり、学校の教師がそれを批判すると、アメリカではホーム・スクールが流行しているため、裕福な家庭だと即座に公教育を否定して子供に MOOC へ参加するためのタブレットとクレジット・カードだけを与えるようになる。

こうしたバカげたムーヴメントなりトレンドは、無垢で純粋なエンジニアたちが唱道したものだが、動機が無垢で純粋なら何を言ったりやっても許されるなどということはない。そしてこれまた日本の愚鈍な思想家にも言えるとおり、仮に失敗したとしても腹を切ればいいなどというのは、実はもっともイージーな選択なのである。そして、それはチャレンジでもなければ責任ある「自由」でもないのだ。失敗したら償えばいいなんて理屈だけで何でも好き勝手に考えなくやろうとするのは、いちばん無責任な人間の態度である。日本の右翼が賛美するハラキリなんてのも同じだ。要は、死ぬに値する無能がいくら自殺しようと世界は何も良くならないし、何も償われない。もちろん、かつて自衛隊で自害して同じ程度に無能な人々からいまだに崇拝されている文学者にも言えることだが、バカが一人いなくなるだけだ。

よく調べてもらいたいが、いまだにアメリカの IT 企業で働くエンジニアの中には黒人も女性も少ない。そして、大声では言わなくても "Google's Ideological Echo Chamber" という文章で知られたジェイムズ・ダモーアと同じような思考を持っていて、表立って意見としては発言しないまでも、無意識に黒人や女性を低く評価したり彼らに無自覚な警戒心を抱く人は、保守的であろうとリベラルであろうとたくさんいるということなのである。ましてや偏見について問われることが意外と少ないインド人やメキシコ人や中国人については、まだ彼らの黒人や女性に対する差別意識は白人がもつ差別意識と比べて、アメリカでも殆ど調査すらされていないだろう。いまだにエスタブリッシュメントに白人が多いからというだけで白人の差別意識だけをことさらに取り上げることこそ、冒頭でも述べたように発信側のバイアスや印象操作や無自覚な偏見に、受信側の僕らが左右されてしまって客観的で公平な態度がとれていない証拠であろう。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook