Scribble at 2023-11-24 21:35:24 Last modified: 2023-11-24 21:43:39

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カレンダー 2024年 卓上 ミニカレンダー 六曜入り シンプル おしゃれ スリム オフィス ビジネス 【たて型】 (月曜始まり) / 660円

今年も年末が近くなってきている。昨年は卓上の小型カレンダーを Loft やダイソーや文具店やアマゾンで探しても適当なものがなくて、Illustrator CC を使って自作したカレンダーを手元に置いてきた。

https://www.markupdancing.net/archive/note.html?date=6f2d0b8a6e83d2637eadf5b7ab949774

結論として言えば、殆ど使ってない。今日の日付なんてスマートフォンで分かるし、机にも日付を大きく表示するデジタル時計が置いてあるからだ。すると、カレンダー特有の前後関係を把握するといった相対的な意味合いを理解するための役割を積極的に果たしたのかというと、そうでもない。なぜなら、そもそも他の日付との前後関係に関心があるのは、それらが何かの予定を持っているからであって、そのような予定というものは Google Calendar のような他の既存のカレンダーに登録してあるからだ。それら個々の予定を紙の卓上カレンダーに改めて転記する意味はない。では、どうしてこういうカレンダーを置きたいと思ったのだろうか。恐らく、過去に卓上の小さなカレンダーを置いていた頃の記憶が、何かスタイリッシュでトレンディーな生活をしていたかのような錯覚を保持したために、それを無闇に再現しようとする自己欺瞞へ陥っていた可能性もある。こうした愚かな認知活動や思考あるいは想像あるいは推論の癖みたいなものは、哲学者であれば断固として切り捨てなくてはならない。

こうした結論が出ていても、もちろん人は同じようなことへ誘惑されるし、自分でも自分自身を誘惑してしまう。タバコを止められない理屈を捻り出そうとする態度と似たようなものだ。そして、それを哲学では「アクラシア(weakness of will)」などと言ったりする。でも、そういう誘惑を切り捨てられないことが弱さなのではないだろう。寧ろそこでは魅惑的なことがらへ拘泥したり邁進するほどの熱意すらあるわけで、そういう態度を「弱さ」などと言うことこそ、言い訳がましい欺瞞である。あたかも、そこには本来の理性に対して刹那的な情動があって拮抗したかのような情景が描かれるために、敗北した理性を「弱さ」などと表現するわけだが、僕はそれこそが自己欺瞞の典型だと思う。

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