Scribble at 2024-05-15 09:51:06 Last modified: 2024-05-15 11:18:48
Most Japanese textbooks in mathematics ignore the significance of a clear, detailed, and logical explanation for each mathematical concept, theorem, or exercise.
この数年のあいだに50冊を超える参考書を読んできて、高校数学の大多数の参考書は、どれほどの名著と言われていようと、それはしょせん数学オタクや数学が得意な人間の、いわば上から目線の評価でしかなく、数学が苦手であるとか、あるいは数学教員の説明の未熟さに腹を立てている人々からの評価は無視されたり軽視されがちであることが分かった。手取り足取りは行き過ぎかもしれないが、少なくとも展開している議論の根拠とか前提を、それこそ中学レベルから明示したり論証するくらいの用意周到さがあってしかるべきなのに(高校に入ったからといって、大半の高校生は中学までの数学を十分にマスターしているとは限らない)、そういうところは所定の課程を終えたという建前に依存してスルーしているのが、この国の数学教育の実態であろう。
一部の参考書では、たとえば補助線を頓智のように思いつくなんてことはなく、論理的に考えたら必要性が分かるなどと説明している。しかし、そのためにどれだけ試行錯誤しても、その土台となる中学までの数学の素養が不十分であれば、やはり多くの「解法」とか「数学的センス」とか「補助線」の類は、多くの人にとっては天下り式の説明に過ぎない。あるいは、最初から数学の才能があるか、特別な本を読んでいる人間だけが思いついたり知っているラッキーやご都合主義にすぎないという不公平さが残るだろう。
もちろん、僕は出羽守ではないが、アメリカではそういう前提が通用しない。いきなり高校に移民の子供が入学してきて、想定されている中学の課程を十分に履修していないという可能性もある。もちろん、アメリカは必要以上に下駄を履かせるような国ではないが、しかし他方で条件の異なる生徒を放置することは institutional discrimination であるという理解も浸透しているため、おおむねテキストというものは self-contained を旨として編纂されるのが当然とされている。授業で進度の遅い生徒を全てカバーできなくとも、本人にやる気さえあればリカバーできるようになっているのだ。
だが、日本の高校数学の参考書を見ると、確かに異様なほど分厚い参考書は幾つもある。僕も、Focus Gold やら白チャートやらを手に入れて使ってみたけれど、一部のコラムなどに興味深い解説はあったものの、おおむねあの分厚さの大半は入試問題の詳しい解説にすぎない。学ぶべき概念を深く掘り下げるようなものでもなければ、どうしてそういう概念や演算や定理が有効であったり必要なのかを説得力をもって説明するようなものではなかった。確かに、僕自身も説明していることとして、数学は特定の用途を想定して学ぶべきものではないし、その形式主義や無味乾燥さや抽象度こそが数学の強力な applicability なのだが、しかし理論的な有効性の説明や正当化まで無視していいわけがない。要するに、日本の数学の参考書というのは、数学を単なる記号操作やゲームとしてだけ解説する過剰な形式主義に走りすぎていて、産湯と一緒に赤ん坊まで流してしまっているのだ。