Scribble at 2026-06-11 09:04:48 Last modified: 2026-06-11 09:36:31
与信の基準には色々とあるわけだが、ウェブ制作やネット・ベンチャーとしての受発注や取り引きの相手を値踏みするときに厄介となるのは、たいていの相手が技術、知識、経験において未熟であることだ。人間性についてどうこう言っているわけではないが、少なくとも僕より技術や知識や経験で優れている取引先なんて、滅多にいない(皆無ではない)。特に、ここ数年にわたって弊社から発注している個人事業主やクラウド・ワーカーの類は、目を覆いたくなるような素人、アマチュア、そしてヘタレばかりだ。
もちろん、そうなる理由はいくつかあるし、その一つは誰もが想像するように発注額や予算規模が低いことにあるかもしれない。同じ仕事でも1万円で引き受けると言ってくる人と、10万円以下では引き受けないと言っている人とでは、どうしてもクォリティに差がある。これは、コンテンツ・マーケティングの記事原稿だとか、ビジュアル・デザインで利用するイラストなどでは、それなりに発注額と納品物の品質とに、或るていどは関連性があるからだ。しかし、常にそうだというわけではなく、安くてもしっかりした原稿を出してくるライターもいれば、高い値段の割に生成 AI で吐き出したような文章を送ってくるやつもいる。だが、そういうメインの仕事ぶりはともかく、大多数の受注側に言えることは、基本的なコンピュータの知識だとか、OS の操作、トラブル時の対応(に有効な知識や経験)、そして情報セキュリティや、情報資産に関する法令の類に、そもそも興味がないという人が多いことである。コンピュータやインターネットにぜんぜん関心も興味もない人が、パソコンとネットを使って仕事をしている。これが現代の「デジタル・ブルーカラー」の現実だ。
これは、見方を変えるならコモディティー化したということでもあろう。リベラルの諸君が大好きな言い方をするなら、「民主化した」ということにでもなろうか。パソコンと通信環境(と、たぶんユーキャンのテキスト)さえあれば、中卒でも「ウェブ・エンジニア」を名乗れるようになったのだから。しかし、残念ながら、こうした人々は資格試験で仕事をするようになったのであれば、資格試験のテキストに書いてあることしか自分の職能や職責として理解していないし、独学なら更に背景知識や志向や職業意識が偏っている。そして、おおむねこういう人々に共通しているのが、「相手の企業にはルールがあり、そして自分も企業も含めて世の中には法律というものがある」という厳然たる事実に関心を払わないということだ。まるで、ウェブ・デザインや仕事というものに何のルールも法律も関係ないかのように生きている。人殺しさえしなければ、ブラウザやテキスト・エディタや Photoshop で、つまりはパソコンやタブレットやスマホで何をやってもいいかのように思い込んでいるということである。
こういう無頓着さを、もちろん金額のスケールで過小評価してはいけない。たとえ発注金額が1万円の仕事でも、渡した資料を匿名で SNS で自慢話として公表する馬鹿がいてもおかしくないからだ。いわゆる「割れ窓理論」は極端な理屈ではあるけど、だからといって一般社員や個人事業主のスキルや責任感が低かったり弱いことを自然の摂理であるかのように黙って許容したり軽んじることは、必ず重大な事故を引き起こすリスクを引き上げてしまう。もちろん、そういう過小評価や手加減は、そのうち自分自身にも向けられるようになるからだ。人というものは、僕も含めて凡庸である他にない以上は、そういうものであろう。およそ他人を律することは、偉そうにそんなことをやる以上は、自分自身をも律する責任や自覚が伴っていなくてはならないわけで、マネジメントとはまず何よりも第一に自分自身のマネジメントでなくてはいけないのである。
なので、こういうことを書いているからといって、俺以外の馬鹿や無能は仕事が欲しければ頑張れなどと言いたいわけではなく、彼らを説得できるだけの実績として、僕自身がどのようにルールや法令を順守するよう考えたり仕事に当てはめているかを示さなくてはいけないという話でもある(もちろん、凡庸なみなさんも頑張ってほしいがね)。ただし、このような場合に気を付けなくてはいけないのは、僕が情報セキュリティの専任者や担当だからこそ注意を払ったり関心を持っているのだと、特別扱いされないようにしなくてはならないということだ。担当なら関心をもっていたり一定の知識をもっているのは当たり前であり、寧ろそれによって担当に任じられているのだろうから、そんな人がセキュリティに興味があって一定の成果を出しているのは当たり前である。でも、わたしたちにはそんな知識を得る暇などないし、そんな知識を得ても出世したり儲かるわけでもなく、そしてセキュリティの担当者になどなる気もない・・・こんな風に反感を買われたり、あるいは例外扱いされたら、こういう啓発は失敗と言える。
ちなみに、僕が自分の専攻している哲学について啓発や啓蒙が非常に難しいと考えていて、しかるに世の中にある膨大な通俗本を罵倒して回っているのは、同じ理由からである。つまり、僕は哲学というものを、読書するだけで誰もが関心をもつようになることだとは思っていない。他の学問についても言えることだし、あらゆる職業や趣味にも言えることだと思うのだが、しょせんやるべき人、やれる人しか関係のないことなのだ。だが、困ったことにそれは常にというわけではなく、或るとき、或る状況でという条件がつねにある。したがって、或る人が高校時代は哲学と無関係な生活を送っていても、89歳になって病床にいるときに無関係ではない生活を送ることになる可能性だってあるし、或る人は主婦をやっているあいだは必要でも離婚した後は必要なくなるようなことかもしれないし、或る人は幼稚園の時代にやるべきだったが、そこでやらなかったせいで後の人生では必要のない生活を送るかもしれない。誰にとって、いつ、どういう状況で必要なのかが分からないのだ。それは、哲学というものが最も広く漠然とした意味で「考える」とか「反省する」ということでしか説明がつかないような営みだからだ。
しかし、仕事として従事するにあたって必要な知識は、そういうわけにはいかない。他人さまから仕事を請ける立場でありながら、1万円の仕事をするクラウド・ワーカーだからセキュリティは必要ありませんなどと言う権利はないのだ。とはいえ、責任や義務があるからというだけで人が適正で的確な働き方をするわけではないし(もしそうなら、そもそも「マネジメント」なんて仕事は不要だろう)、そうあるべきだと思い立つわけでもない。企業においては、人材教育や渉外などとは言っても、建前だけで人が動くわけでもないと前提する(これは馬鹿にしているわけでもないし、いわゆる通俗的な意味での性悪説でもない)ことが必要だ。昨今は、「エンゲージメント教育」などと言って、要するに何かを学ぼうとする「ラーニングなんとか」を高らかに宣言するだけでは人は動かないということを悟った人々が、それよりも動機付けが必要だという議論をしているわけだが、そのために必要とされる条件のいくつかは実現が難しいので、なかなか実効性がないというありさまである。
エンゲージメントの実効性が限られている理由の筆頭は、それによって確約されるものが乏しいからである。これを、「やりがい」や「自己実現」などというフレーズで自己回収するように仕向けるだけでは、それこそ仕向けられていると思いがちな人々には無効であろう。そもそも、大多数の人々にとっては、自分が与えられている作業を超えることに関心を払うには、それに見合う何かが必要だという思考が自然であろう。要するに、給料が上がるとか、発注金額が増えるとか、そういった話である。これを無視したり、軽んじるような経営側からの説得やストーリー・テリングは、それがどれほど美しい言葉で飾られたりクールな映像として表現されていようと、たいていの人にすれば仕事や責任を増やすためのインチキな正当化だと映る。
かといって、情報セキュリティの啓発活動や研修でよくあるように、ルールや法令を軽んじると事故が起きたときに悲惨な結果を招くと脅して見せたところで、実はこれも逆効果だと思う。弊社のようにプライバシーマークの使用許諾を受けている事業者では、JIS の要求事項として適正な仕事をせずにインシデントが起きたら深刻な事業インパクトがあるなどと解説せよと定められているのだが、僕はこのような要求事項には疑問がある。そして、それは教え方によってどうにかなるとか有効に教えられるという次元の話ではないと思う。
そもそも、自分のやっている仕事や作業にどういうリスクがあるかを、たいていの人は知らないし、関知していない。したがって、それが危険だと言われたところで実感がないし、現に殆どの人にとっては、そうやってきて何の問題もなかったという強力な経験がある。大規模な災害や事件が起きても、当事者でない人々が短期間で忘れたり過小評価するようになるのは、これが理由である。自分がいまのまま仕事をし続けたからといって、重大な事故が起きるとは思えないのも当然であろう。そして、弊社のように普段のとおり業務に従事していても安全に仕事ができるように、オンライン・サービスなどの設定を調整するのが、われわれバック・オフィスの情報セキュリティ部署の仕事であると説明しているのであるから、なおさら彼らには自分でセキュリティ対策を考えたり調べたり学ぶインセンティブがなくなる。有能な実務家が会社の業務環境を下支えすると、リテラシーが逆に低下してしまうという実例だ(ま、それで事故が起きなければ、少なくとも俺が退職するまでは安泰だから、俺が退職した後は知ったことではないがね)。なので、ここまで議論してきて卓袱台を引っ繰り返すような話となるのは不本意なのだが、実は弊社では従業員のリテラシーについては深刻に考えていない。もちろん、過信はしていないけれど、僕が Google Workspace のようなサービスのセキュリティ設定を安全側にコントロールしているからだ。なので、情報やデータのやり取りや運用においてリスクがあるのは、やはり取引相手である個人事業主や、場合によっては顧客(自分たちの失敗や無能の責任をこちらに押し付けられるリスクがある)なのだ。
これは、ひとまず下請けなり発注先に対しては、相手が会社だろうと個人だろうと、あるいは2,000円の発注金額だろうと関係なく、それなりに厳しい内容の NDA を締結することが与信の条件となっている(そして、都合がいいことに現在は与信の最終決裁権が僕にある)。おおよそ、JIS Q 27002 に匹敵する水準で情報資産の管理を求めており、相手がド田舎の主婦だろうと広告代理店から紹介されたチンピラみたいなデザイナーだろうと関係ない。