Scribble at 2024-05-01 11:18:54 Last modified: 2024-05-01 11:20:13

いまでも思い出すのだが、高校時代に友人等と寺田町駅の付近を歩いていたときに、後ろから白杖を使った人がやってきて、後ろを歩いていた同級生が「おーい、道を空けたれよ」と声をかけてきた。そして、白杖を使う人物が僕らを追い越して行った後に、その同級生が全員に向かって「おまえら、なんで気がつけへんねん。常識のない連中やなぁ」と声高に罵り始めたのだった。後ろから視覚障害者が歩いてきてるかどうかなんて、いちいち気にしながら道を歩く人間なんていないし、そうだからといって冗談半分であろうと非常識だの人間のクズだの差別者だのと罵られる覚えはない。

こういうエピソードを思い返すたびに、僕は腹を立てているわけではない。寧ろ、自分がたまたま気づいて率先して実行した「善行」一つで、鬼の首をとったかのような態度をとっている人間こそ、差別者ではないかという印象が拭えず、なんだか気の毒なメンタリティだなと思う。世の中には、そうやって些末な事実にしがみついてしか自分が生きている意義だとか他人に対する優位性だとか自信のようなものを維持できない人というのがいて、おそらくネトウヨとか意識高い系といった人々が「日本人」だの「PC」だの、あるいはそれぞれが掲げる安っぽい伝統だの正義だのという観念にしがみついて他人を罵倒するのは、そういうコンプレックスゆえなのだろう。

ただ、だからといって彼らに気安く好意的な解釈や温情を施すことは、やはり長期的には悪い結果になると思う。そして、目立つ物書きやテレビのコメンテーターなどを叩くのは簡単だが、そうした一般人の凡庸さに隠れた悪辣さや愚かさを取り出して叩くこともまた、周囲の大人や友人がしないというのであれば、やはりブログ記事や SNS で見かけた大人が意見を述べることで、或る程度の社会的な牽制というものになると思っている。

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