Scribble at 2020-06-09 16:58:34 Last modified: 2020-06-10 15:13:43

制度的人種差別とは、社会的弱者が不利となる仕組みが社会構造に取り込まれており、黒人が黒人として生まれただけで、以後の人生が自動的に不利の連続となることを指す。

白人警官はなぜ黒人を殺害するのか 日本人が知らない差別の仕組み

堂本かおるという方が解説している記事を読んだ。アメリカでデモが始まった当初は、Twitter で出羽守連中 (*) が「日本人は制度的人種差別を理解していない」などと発言を繰り返していたのだが、そういう人たちに限って「制度的人種差別」とか「構造的差別」といった表現がどういう意味で使われているのか誰も説明しようとしないため、どなたか説明してくれる方がいないものかと思っていたところだ。もちろん、差別には色々と切っ掛けなり様態というものがあり、単に自分が感じた違和感や反感によって他人を断罪するような感情的なものもあれば、ここで語られているように長い年月を通じて文化や風習や制度や法律に影響を及ぼしてきたものもある。そして、「制度的(institutional)」と言われているならば、それがアメリカの制度において built-in されているような差別なのだろうという予想は誰にでもできる筈だ。単に肌の色が黒いとか黄色いという違和感だけで白人が僕らを遠ざけるということであれば、そんなものは属人的な好き嫌いの話にすぎず、制度的だの構造的だのと大上段に構えて論じる必要などない。

ただ、堂本さんの解説を読んだ率直な感想として言うと、アメリカの警察官が George Floyd を(周りで止めろと大勢から非難されていたにも関わらず)何分にも渡って《虐待》した挙句に殺した理由は、これではわからない。アメリカの黒人は大半が奴隷の末裔で、それゆえアメリカには彼らを《そういう存在》として扱ってきた前提をもつ制度や文化や慣習がたくさん残っていて・・・という事実(それは確かに事実なのだろう)から、この警察官の行動(これも事実だ)を説明できているとは思えないのである。途中に、アメリカの警察官養成プログラムに黒人なり人の命を軽視するような内容があって、それを行動として即座に実行するように叩き込まれているという事実があれば、警察官が周りから何を言われていようと聞く耳を持たなかった理由が説明できるかもしれない。しかしそれでも、警察官には黒人だっているのだから、白人だけがこういう事件を繰り返すという背景には、ここで説明されているような、警察官の養成所に入るまでの生まれや育ちで既に黒人に対する何らかの偏見が刷り込まれてしまっているのがアメリカの風習や分野や制度なのだという話なのだろうか。

もしそういうことであれば、もちろんアメリカの白人にも人種差別に対抗する活動を続けている人たちは多いと思うのだが、こういう人たちが自分たちの子供に人種差別の不当さを教えたり世の中に啓発をして回っても、得てして警察官を志望する人物の家庭に限って、そういう啓発活動とは接触しない生活を広範囲に続けられている状況がなぜか維持されてしまっているということなのだろう。もちろん、これは日本にも似たようなことが当てはまる。それ自体は気の毒な家庭の事情だとは思うが、貧しくて高校へ行けなかった人とか、逆に大学をドロップアウトして事業を起こした人などにしばしば見受けられる反知性主義の親は、「教育なんかいらない」「女は大学に行ってもしょうがない」「学問なんて金持ちの暇潰しだ」「実学こそ本当の学問」「金を稼いでなんぼ」といった、直接であれ間接であれこうしたフレーズを子供に繰り返す。自分たちはどういう発言がどういう意見に関連があるかとか、自分の発言から子供が何を推論するかということに想像力をもつ親なんて、実はほとんどいない(親の大半は、こう言ってよければ人を育てるということについて《アマチュアの親》である)。しかるに、自分たちは確かに黒人は差別しない、けれど他の何らかの事情で他人を差別するような考えを子供に伝えてしまっているという可能性はあろう。

このような事例も、おそらくは差別がいつでも誰にでも(もちろん被差別の側にも)生じうる《ヒトゆえの脆弱性》であるという見識において色々と落とし穴を見分ける知恵が求められるのだろう。ここで紹介されている制度的人種差別というタームも、世の中の仕組みからして黒人に不利なのだという事実に気づかない人たちには、啓発するべき知見の一つだと思う。でも、アメリカには歴史的な経緯からシステマティックな人種差別というものがあって云々と storytelling するだけでは不十分だ。それでは単なる陰謀論との区別がつかない。

(*) もちろん海外在住者をひとくくりにして「自分が暮らしている地元感覚だけで『アメリカ』や『日本』を語っている人」だと言っているわけではない。しかし、アメリカの良いところも悪いところも関係なしに、自分がアメリカの何かを知っていてそれが「日本」という国に不足しているとかあるという比較をするしか能がない人々は、やはりどれほど人種差別に反対したり優れた教育を紹介していようと、僕にはノイズを撒き散らしている人だと思える。

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