Scribble at 2020-03-29 12:09:00 Last modified: 2022-10-03 07:47:07

例の、神戸の女子大で二束三文の通俗書を量産していた内田何某という左翼フランス思想の元教員は、今度は日本人が《退化》してサルになりつつあるとして、自分が俗書を売りさばいていた〈顧客〉である凡人を愚弄し始めているらしい。

もともとが三流の女子大で哲学を教えるなんて連中の多くは、国公立や有力私立大から弾き出された人々なので、旧帝大の教員などに対して一定のコンプレックスがある。かような俗書を続々と出している人間なんて、結局はその手のコンプレックスでパブリシティを獲得しているようなものだ。よって、部落差別と同じく、《自分たちよりもまだ下がいる》という精神的な担保を求めるものである。それが本を売りさばく相手つまりは〈顧客〉であるような、底辺大学の女子大生や凡人、あるいは一般読者と呼ばれる人々だったわけだが、一定の資産を貯め込んだり、あるいは自分自身の死期が近づくと、かような口先左翼を始めとする無能の多くは本性を現し、今度は自分の〈顧客〉であった大衆なり一般人を、もうこれ以上は媚びへつらう必要などないとばかりに、こき下ろし始めたりする。これは昔から言っていることだが、口先だけの左翼というのは、旧ソ連の官僚や政治家、あるいは現在の中国共産党でもいいが、まことに品性下劣であり、自分たちが大衆をコントロールすれば社会は良くなるとか、自分たちが本を書いて大衆が従えばいいという、単なるファシストでしかないという人間も多い。(しかして口先だけの右翼と言えば、単なる無知無教養のコンプレックスに蝕まれた脳筋バカ、さりとて本当のところは筋力も体力も人殺しのテクニックや覚悟もない軟弱野郎というわけだから、どちらも始末に負えない。)

何にせよ、そもそも本業であったレヴィナス研究などにおいても、見るべき業績など殆ど同業者からすら口にされていないような俗物が、同じ程度の俗物である元阪大総長の現象学プロパーと関西で適当な茶飲み話を展開していたのが、関西圏の哲学ないしは現象学という狭いスケールのコミュニティで起きていた《厄災》とも言いうる。都内では、官公庁や大手企業も巻き込んだ大文字の政治との関係も頻繁に起きるわけだが、そうした利害関係から距離を置いているはずの関西なり他の地方都市においても、無能な哲学教員がやる小文字の政治などというものは、遅かれ早かれこの程度の醜態をさらすのが関の山だし、それを或る程度は分かっている周りの多くのプロパーも大して由々しきことだとも感じていないというのが、この国の学術研究における真の《退化》とは言えまいか。

もちろん、同じようなことは分析哲学や科学哲学においても言いうる。

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