Scribble at 2020-03-29 12:50:40 Last modified: 2022-10-03 07:53:01

公開している記事(Notes の投稿ではなく、ウェブ・ページ)を分類してくれという要望は、確かに何人かから寄せられている。それはそれで分かるのだが、たとえばフロント・ページで "Miscellaneous" という表題の元に並んでいる記事の一覧をご覧いただいても、これを分類せよと言われても僕だって困る。そもそも、MarkupDancing は僕が関心を持っていたり意見を書きたい話題についての記事や資料を公開するウェブサイトなのであり、言ってみれば運営する僕が関心をもっていたり公開を意図している分野のスケールに応じてコンテンツが定まるものだ。そして、僕が社会人だのネット・ベンチャーで働いているだのといった些末な事実にとらわれない範囲でものを考えたり書いている以上、そしてとりわけ僕が哲学者であるという事実からして、およそ対象となる分野とか話題が広範かつ詳細に及ぶのは当然であろう。

もちろん、これは本来は誰にでも当てはまる。そして逆に、何も哲学者だからといって、運営するサイトやブログのテーマが誰でも多種多彩な話題や分野を扱うようになる、道義的な理由もなければ必然的な原因もない。ラーメン屋を営む人がプライベートな時間にはフット・サルのプレイヤーでもあるなら、彼女が自分で運営するサイトでラーメンの話題とフット・サルについてしか書いてはいけないなどと、誰が命令できるのか。彼女がラーメン屋の主人であると知っている人たちは、そのサイトでラーメンの情報を読めると期待してもいいが、逆に言えばそういう人はラーメン屋の主人としてしか、その人物に関心や利害関係をもっていないということだし、特定の他人については所属や職業上の情報しか必要ないと考えているということでもある。もちろん、それはそれで特に不当な態度でもないし、間違った態度でもない。しかし、それは自分たちで自由に読むものを選べる態度でもある一方で、他人にはサイトの内容やテーマを強制したり要求できないという意味でも、相手の自由を認めない限りは成立しない態度でもある。

・・・などと、面倒な理屈をあれこれと書いているわけだが、要するに俺が俺の書きたいことを書いたり公表してるサイトに、「わかりやすいまとめ方をした方がよろしい」と要望することは誰にでもできることだが、「《僕にとって》わかりやすいまとめ方をしておくれよ」と言う権利は誰にもないのである。それは、君たちの見識や興味が狭いからそうなっているだけであり、言わば世界観の広い人間が狭い人間に合わせる道理などないのだ。学術や知性においては、トリクル・ダウンや権威主義を否定すると、そこには発展する力が失われてしまう。これは重ねて強調しておくが、君たちビジターに合わせて《食べやすい餌をくれる人間》というのは、通俗物書きだろうとポピュリストの政治家だろうと、本当のところは君たちを根本的に蔑視している人間なのだということを忘れないことである。

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