Scribble at 2023-12-16 10:12:10 Last modified: 2023-12-16 10:17:11

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現役部員や入部を希望する新入生への対応については「学生にはスポーツをする権利、競技をする権利がある。廃部という結果だけを伝えると精神的なストレスを受ける可能性があるので心のケアが必要だ。そして廃部という事実をもってなにもさせないのではなく、いったんリセットして新しい形で、別の形で競技を続ける環境を大学として確保すべきだ。スポーツする権利を奪うことに対して、代替策を提示すべき」と述べました。

日本大学 アメリカンフットボール部 臨時の理事会で廃部が決定

この件、上記のコメントには疑問がある。

まず大前提として、建前だろうとなんだろうと大学は勉学が第一義の教育機関である。スポーツをやる場所ではない。したがって、学生に「スポーツする権利」があるとは言っても、それは国民の一人として(他人の権利を侵害しない限り)どういうスポーツをやっても構わないという基本的な人権の一部であって、大学でスポーツする権利などという特別で特殊な権利などないのだ。

実際、僕が過ごしてきた学生時代でも、友人なり知人の中には、スポーツ推薦だとか、一部のクラブにだけ巨額の予算が投じられる大学の運営に疑問をもつ学生は少なからずいた。なんで一部のクラブ活動にだけ、あれだけの施設や競技器具や外部スタッフなどを用意して、他のクラブ活動には殆ど予算を回さないのか。いや、それ以前に、図書館が本を購入する予算や教員の数を削ってまで、広大な運動場の固定資産税や部員の遠征費を大学が負担するというのは、教育機関としてどうなのかというわけである。

こういうことを書くと、二言目には大学のブランドに寄与するとか、受験生に訴えるものがあるなどと言う人がいるけれど、僕はそれは嘘だと思う。その大学の社会科学系の教員に、一度でも社会調査させたことでもあるのだろうか。高校生に、特定の大学で特定の競技が強かったり有名だというだけで、その大学に入学しようという評価が上がるかどうかを尋ねてみればよい。どれほどアメリカン・フットボールが強かろうと、慶応や東大に行こうという連中が日大を目指そうと目標を替えるなんて、まず 99.999 % ありえない。そして、その 0.001 % の可能性のためだけに何十年もクラブ活動に巨額の予算を投じているというのであれば、それはもはや社会科学的なスケールで言って愚行でしかあるまい。

実際には、日大のアメフトが強いのどうので日大に行こうとするのは、そもそもアメフトをやってる高校生だけだ。つまり、日大がアメフト(の成績)をブランディングに寄与すると言えるとしても、それはアメフトをやる学生を集めるのに役立つというマッチポンプなのである。日大がアメフトをやる意義は、日大でアメフト部を続けるためにしか関係がないのである。

もちろん、アメフトのように一定の競技場なり設備がないとプレイすることが難しい競技はあろう。でも、それを誰でも好きなときにやれることが「権利」なのかというと、それは違う。沖縄でアイス・スケートしたいからといって、「アイス・スケートする権利がある」と行政に訴えて公営のスケート・リンクを作らせる権利なんて、誰にもない。しょせん、自分がやれることに行政が口を挟めないという意味での消極的な自由があるだけだ。自分でやれる準備ができないなら、それを行政や大学や誰かに準備してもらうなんてのは、そんなもん自由でも権利でもなかろう。そんなことを認めたら、子供が国に対して「国の予算で『ゲームでガチャる権利』を保障せよ」と言い出しかねない。スマートフォンのゲームは「遊び」だからスポーツとは話が違う? それこそ何の「権利」があってそんなことが言えるのか。

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