Scribble at 2021-10-03 19:01:04 Last modified: 2021-10-06 10:37:08

添付画像

ザ・ゴール ― 企業の究極の目的とは何か

本書もビジネス書のカテゴリーでは定番と言えるらしく、「ビジネス書」に類する棚を抱える大半の書店では並べてある。ただ、500ページという大部の著作なので、いくら小説体で書かれているとは言っても、読み通すのは時間がかかる。今日の朝から少しずつ暇を見つけて読んでいるが、夕方にやっと半分ていどを読み終わったところだ。

本書の主旨を僕なりに説明すると、要するに既存の財務諸表を現場の生産性向上へ応用するために読み替えたり組み替えることだ。貸借対照表(B/S)、損益計算書(P/L)、そしてキャッシュフロー計算書という財務諸表(これらに加えて株主資本等変動計算書も財務諸表に数えられているが、株主資本等変動計算書のように純資産だけを扱う計算書なんて、僕が勤めるような非上場の中小企業では、財務以外の部署のマネジャーが気にする必要はないと思う)は、あくまでも対外的に作成される書類なので、社内向けには別の整理方法が必要だ。かといって、管理会計の書類というものは会社ごとにバラバラで、必ずしも他の事業部署(とりわけ生産部署や営業部署)にとって分かりやすいとは限らない。そこで、本書で提案しているような、企業の目的である「金儲け」という指向から逸れずに、幾つかの指標を具体的な例を使って描いているのであった。

企業の究極の目的が「金儲け」であるというのは、身も蓋もないように見える。しかし、僕はこういうスタンスに好感がもてる。正直なところ、スポーツ後援だの CSR だのメセナだの、あるいは昨今では SDGs だのダイバーシティだのと、景気が後退すれば簡単に止めてしまうような、僕に言わせれば気が向いたときにやっているにすぎない〈ふざけた〉企業活動なんて全く信用に値しない。どれほど経営陣に善意があろうと、宗教的な(こう言って良ければ頭のおかしい)熱情をもって死ぬまで私財を使ってでも続ける気がない限り、そういう打ち上げ花火的な「善意」なんてものは、状況を替えたり向き先を変えるだけで、簡単に別の様相と結果を示すものだ。たとえば、ナチスを支持した愚かなドイツ人の「愛国心」や、関東大震災のときに無実の朝鮮人を数多く虐殺した東京人の「リスク対策」と同じく、その場限りの正義感や熱意だけで突き動かされる軽率な人間の心理と、そういう「善意」とは、仕組みや働きが同じだと言って良い。

それに比べて、金を儲けるという企業の目的意識は、少なくとも企業活動を始めてから終わるまで持続するだろう。そこには、たとえ仮に手段として違法なことをやっていようとも、金という点では嘘がない。それがいい。もちろん僕は、盲導犬のサポートや身体障害者のサポートに企業として寄付するといったことを「綺麗事」だとか「偽善」だと罵りたいわけではない。それをやるのは自由だが、断じて企業の目的ではなかろうと言いたいだけである。よって、僕がこのように言うのも、露悪的なりシニカルな態度を敢えて取っているわけでもない。

[追記:2021-10-05]

さて本書を読み進めてきて印象深いのは、いったん工場が生み出す利益を引き上げて主人公が昇進までするところから先の話だ。38章あたりに出てくるため、終盤である。僕も幾つかの会社で感じていたことなのだが、非常に多くの人々が、ごく基本的な〈思考〉の習慣を持っていないことに驚いた。僕が勤めてきたほぼ全ての会社で、たとえば或る情報を社内で通知したり、あるいは何かするよう業務命令を発したときに、「それが何を意味するのか」を全く推論しない人が役職者ですら多くいたということだ。

たとえば、「*月*日にドメインが失効するので、担当部署は稟議を通すように」と僕が社内で通知すると、まず自分たちが提供しているサービス・サイトのドメインが数週間後に失効するという事実を知ることになる。ふつう(と、僕らは思っているのだが)、ここから「ドメインが失効するとサービスが停止して、契約ユーザやサイトの利用者や提携先などに重大な迷惑がかかる」という〈意味〉を即座に推論するため、これが非常に重大な事案だと簡単に了解できる。でも、実はこういう推論、つまり与えられたり自分が知った事実から、"if... then..." と推論し、そうであればこうなると考えを進めた結果の重大さについて評価しようとする人が、意外なほど少ないということだ。つまり、極端なことを敢えて言えば、〈サラリーマンは推論しない〉のである。なぜなら、自分がやるべき〈作業〉や会議で決まった〈施策〉を繰り返して一ヶ月が経過したら給料をもらえるからだ。

僕は、得た情報から(それが自分にとって、何の意味や重要性がありそうだったりなさそうなのかはともかく)推論しない人間はコンピタンシーに欠けるとすら思ってきたのだが、これまで勤めてきた幾つかの会社で、こういう思考の習慣を身に着けて(というか、こんなのわざわざ勉強したり習得するようなことなのかという気もするが)仕事に取り組んでいる人が意外に少ないという事実も分かった。したがって、たとえば財務諸表を眺めても、その〈意味〉が分からない。ただ数字が増えたり減ったり、色が変わったり、あるいは数字の前に▲のような記号が付くという状況を知覚し眺めているだけだ。赤で Excel のセルに記入されている数字は、それこそ赤字の額だという直感はあろう。しかし、その数値がこれだけの数であるという事実が財務的に何を意味しているかまでは関心がないのである。本来、会議とは異なる状況で異なる立場の人間が集まって、それぞれの推論から得た仮説なり理解を突き合わせる機会だと思っているのだが、どうも多くの現場ではそういうものではないらしく、ただの報告会や反省会になっているらしい。僕は長らく、書店に並ぶビジネス書の中で「原因と結果の法則」とか「問題解決思考」といったフレーズを掲げる本が売れているらしいという実態を不思議に感じていたのだが、本書でも同じように推論することの大切さが力説されているところを見ると、さほど不思議でもないことなのだろう。

本書は、ざっと通読するだけなら生産管理のマネジメントについて書かれているという印象が強いだろう。よって、メーカーでも他の部門に勤めるマネジャーだったり、全く別の業種で働く人々にとって、かなり違和感のある話だろうし、はっきり言って在庫がどうとか自分たちの仕事には応用不能なストーリーだと思うかもしれない。それは、半分は正しい。実際、「あとがき」に相当する「『ザ・ゴール』誕生の背景とその後」という文章を読むと、著者のゴールドブラット自身が生産管理のことしか想定していない可能性があるからだ。しかし、既に上記の段落で書いたように、本書はメーカーの工場運営といった話だけの問題ではないのである。それゆえ、多くの人に読まれているのだろう(離婚の危機にあった夫婦のストーリーに最大の関心がある読者は多くないと思う。もちろん、この主人公の夫婦関係というエピソードも TOC によって解決に向かう一例として組み立てられているようなのだが、小説の構成としてうまくいっているとは思えない)。

ちなみに、本書の訳者もブリガム・ヤング大学の卒業生ということらしく、どうもアメリカから日本に輸入されて重宝されるビジネス書というのは、モルモン教と何らかの点で繋がりやすい傾向があるらしい。

[追記:2021-10-06]

「この内容では、明らかに責任者を名乗っている人は、サーバーの停止でなにが起きるかを理解していなかった模様。こうしたITに関する知識の不足から起きる理不尽は良くあるようで、Togetterでは同様のトラブルに巻き込まれた経験者によるツイートなどがまとめられている。」https://srad.jp/story/21/10/04/1644257/

この事例も、〈推論しない人々〉の一例と言ってよい。サーバを止めるということが何を意味するのかという知識がないのは確かであろう。しかし、このようなサラリーマン(当サイトでは何度も注意書きしていることだが、この場合は女性だろうと LGBTQ だろうと「サラリーマン」と呼んでいる)は、自分が言ったことによって何が起きるか、そしてそれを自分は正確に知っているのかという点で、過信があったり、そもそも何が起きるか考えもしない。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook