Scribble at 2021-06-21 15:13:18 Last modified: unmodified

Jon Katz が Slashdot でウェブログムーブメントに言及しても、Slashdot コミュニティは興味なさげだったという話は興味深い。つまり、これは Slashdot に当時(1999年)既に確固たるコミュニティがあった裏返しでもある。これはレベッカ・ブラッドがウェブログコミュニティの価値を強調するのとパラレルな話で、この新しいムーブメントとつながるところがありますよと誘い水を向けられても、いや、Slashdot は Slashdot でオリジナルだし、栄えてるし、ぽっと出の何かと仲間にされてもね、と当時の Slashdot ユーザが考えても不思議ではなかったわけだ。

レベッカ・ブラッド『ウェブログ・ハンドブック』から引用するネット老人会的歴史証言

当サイトの記事(「ブログがメジャーな「表現」手段になる日? 冗談だろ。」)で、ブログが「言論プラットフォーム」とやらになるなどと盲言を唱えていた人々に冷水を浴びせたのは、2009年のことであった。もちろん、僕もレベッカ・ブラッドの『ウェブログ・ハンドブック』を読んで、この yomoyomo 氏を知った一人である。はっきり言えば、僕は英語が読み書きできて暇があれば誰でもできるようなことをやっている IT 系の物書きと自称する人々を当時も軽蔑していたので、こうした人々について、今も昔も事情通としての信頼はいくらかできるものの、それ以上の評価はしていない。他にも pub 何とかいう技術系ブログ(調べてみたら "Publickey" という名前だ。僕も複数の単語の組み合わせでサイト名にしている人間だが、camelize しないと、これでは「パブリッキー」というヘンテコ名詞に見えるし、ゲシュタルトによっては「ミッキー」の下手くそな語呂合わせにも見える。英語の感覚とはそういうものだ)の運営者もそうだし、情報の「量」だけではどうしようもないという、情報科学や機械学習の理論から既に分かっている筈の〈真理〉と言っていいようなことを、改めて確認するだけのことにしかならないのが残念だ。

日本の大多数の社会学者と同じく、一部の特殊なコミュニティや業界の細かくて些末な事情には詳しくても、結局のところ天下国家どころか自分たちで規定した範囲の集団に関するまともな学説や説明や解釈すら何も提示できない。これが日本の社会科学や評論家やライターの水準だ。

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