Scribble at 2024-01-30 07:45:04 Last modified: unmodified

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よく誤解されていることですが、地理は暗記科目ではありません。地球上に普遍的に存在する「地理の原理」を念頭におきつつ、さまざまな現象の関係性を読み解き、理解する「論理の科目」なのです。

「途上国が焼畑農業を続ける理由」をスッと答えられるか…50年ぶりに復活した必須科目「地理総合」の考え方

上のような理由があって、「熱帯林はなぜ、いつから減少し続けているのか。経済的に貧しい人がとりわけアフリカに多いのはどうしてなのか。ロシアがウクライナに侵攻した背景は何なのか。そして、かつて人類が経験したことがないほどの少子高齢社会に、日本や先進諸国が突入しつつあるのはどうしてなのか。駅前商店街がさびれ、地方が衰退していくなかで東京一極集中が進むのはどうしてなのか。これら全ての問いを互いに関連づけながら一つの科目のなかで学ぶとしたら、地理しかありません」などと言うのだけれど、僕には強い違和感がある。なぜなら、これはただの「環境決定論」というロジック(営業的な、お決まりの思考やレトリック)だからだ。受験生の諸君にしてみれば、地理総合の問題を解くときには、環境決定論を仮定してロジックを組み立てたらいいんだなという暗記科目として扱われるにすぎない

ロシアがウクライナに侵攻した理由を、少なくともロシアの隠れた事情やプーチンの個人的な意図などはあろうと外形的に理解するには、誰だって外交や経済や歴史の知識が必要だと知ってる筈だ。地理が扱うような、ここにドネツ川があります、ツンドラ気候ですとか、そんなことだけが理由になるわけないのだ。すると、こういう地理の人々は即座に、

「地理学は『ブリッジ・サイエンス』だと言われることがあります。あらゆるものを橋のように結びつけ、関連づける総合的な学問分野ということです。『自然環境と人間の営みを結ぶ』『自然科学と人文・社会科学を結ぶ』というように。実際、よく言われる『理系と文系』といった区分は、地理という科目にはもっとも相性の悪いものかもしれません。」

などと言う。究極のブリッジ学問である哲学の人間から言わせてもらえば(笑)、こういうのは非常に姑息な言い訳だと思うんだよね。僕が高校生の頃に、同級生から何度も聞いた感想として「地理というのはどういう分野なのか分かりにくい」というものがあった。典型的な意見はこうだ。

「地形のことなら地学をやればいいし、商店街がどうとか工場の立地がどうなんて話は経済や金融を無視して説明できるわけがないし、色々な地域で起きていることを正しく理解したり説明するには歴史を知っている必要がある。では、地理は? それを組み合わせて考える分野だというなら、どうして先生はその『組み合わせ方』を教えようとしないで、ただただ乱雑に商店街はこう、アフリカの難民はどう、なんて話を散発的に積み上げるだけなのか。もし総合的な知識が必要な分野であれば、アフリカの話一つだけで授業を何回もする必要があるはずなのに、たいていのテーマはせいぜい1回の授業で終わる。それは、そのテーマに関連する予備知識や関連情報を十分に説明しないで『組み合わせ方』だけを重点的に教えてるからだろうか。とても地理の授業がそういうことを教えているようには思えないね。ただただ地理の授業というのは、経済や歴史や法律や政治や地球科学や気候学を生半可にかじった人物が『何かが起きるには色々な事情がある』と言ってるだけにしか見えない。」

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