Scribble at 2024-01-29 17:14:45 Last modified: 2024-01-29 17:17:13

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ただ、Xには「一言余計や。でもめちゃくちゃ(上川氏の)仕事を評価してるね」といったコメントもある。

相次ぐ政治家の「ルッキズム」言及 麻生太郎氏が上川外相に「美しい方といわない」

大人として子供にきちんとメディア・リテラシー(というか、他人の発言なら学校教師だろうとノベール賞の受賞者だろうと、つまりは僕が言うところの権威をもっている人物の発言についてであろうと、常にそうなのだが)として教えないといけないのは、マスコミというのは自分たちが本当に言いたいことを代弁してくれる人手を探しているということだ。これは公的な機関である検察庁の検察官であろうと、自分の主張に都合がいい話をしたり、あるいは錯覚だろうと思い込みだろうと有利なことを「記憶」と称して語ってくれる人物を探していたりする。それが彼らの「ジャーナリズム」や「証拠集め」や「真実の追求」なのである。もちろん、全て頑なに疑う必要はないし、そんな態度こそ不見識かつ不合理というものだが、それでも安易に信用してもいけないのは常識である。

上の事例でも、フジサンケイ・グループのメディアとして、本当は麻生副総理のような発言は「伝統的」で「純粋日本人」としての「九州男児」がもっていて当然の態度を示しており、大いに弁解の余地があって擁護すべきものだと言いたいのが本音だろう。しかし、それが現今の風潮において維持できないというセンチメンタリズムや哀愁を匂わせて同情を集めようという筋書きを思い描いて原稿を書いているのが、かような二流新聞の記者だ。

しかし、それをたとえば社説で書くと自分たちも批判の的になる。朝日新聞や毎日新聞や東京新聞の編集委員とかが喜ぶ絶好の餌となろう。よって、上記のように、いまでは SNS という便利な道具があって、自分たちが言いたいことを幾らでも書いてくれる人材がたくさんいる。そこで、いやしくも国会議員である立憲民主党の代議士が発した意見と同列に、氏素性も分からないやつ(いや、本当にこういう発言を X で投稿した者がいたのかすら、何の証拠もないわけだが)の投稿を並列に紹介して、自分たちの意見も同列であるという印象を読者に抱かせる。そして、何か言われれば、三流マスコミ人がよく言う「両論併記」という口答えによって弁解できるというわけだ。誠に卑怯千万な連中である。

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