Scribble at 2023-10-15 17:18:57 Last modified: 2023-10-16 07:18:52

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繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史

数ページの序文を通読するだけで書物の内容を概略として理解できるように書いているというのは、著者の優れた力量を示すと共に、皮肉なことだが本書を通読する必要がないという判断も読者に与えてしまう。というわけで、文庫本としては600ページを超える力作でありながら、著者には気の毒なことに、僕は本書を通読する必要を感じられなかった。本書の帯で山形浩生氏が推薦文を書いているという事実だけで薄々は分かることだが、要するに本書はリバタリアンの自由市場原理主義を「文化の進歩」という話題に乗じて裏口から忍び込ませるような著作物だとしか思えなかったからである。つまるところ、成金の勝利者史観にすぎない。

決定的なのは、この人物が多くの事業にかかわる大金持ちでありながら、「進化」という概念を完全に(それこそ楽観的に)生存バイアス丸出しのスタンスでしか語っていないという点にある。生物種の進化においては、形質の獲得なり共有なり伝達に対応できなかった競合の生物種だけではなく、形質の獲得なり共有なり伝達に対応できなかった同じ生物種の個体も淘汰されて死滅する。生物学的に言って、これが正しい解釈だし、事実でもある。だが彼のように自然科学の議論をしているようでいて、実はリバタリアニズムを吹聴するような人々は、池田信夫氏や山形浩生氏のように、ぬくぬくと莫大な資産をかかえながら他人には「自己責任」や「市場開放」や「規制改革」を訴える。自分たちこそ、他人の責任や管理された市場や規制のもとで資産や社会的地位やキャリアを積み重ねてきたにも関わらず、他人が同じ仕方で後を追おうとすると、梯子を蹴って外そうとするわけだ。そして、いずれにしても梯子を登るどころか、そもそも梯子にたどり着けなかった膨大な数の人々がいたことは眼中にない。その典型が、歴史的に言えば黒人奴隷であり、後進国の膨大な数の人々であり、相当な数の女性であった。こんな、いまどき中学生でも知ってる「搾取」という事実が抜け落ちた話なんて、600ページにも渡って目を通す価値などない。

マット・リドレーも結局は序文で明快に書かなかったように、淘汰された大量の同じ種の個体(つまり十字軍によって大量に殺戮されたアラブ人や、西洋人の移入による伝染病で大量に死んだネイティヴ・アメリカンや南米の原住民など)のことなど関知しない。生き残った個体が作り上げた結果としての文明や産業革命だけを見て、人類の叡智や努力や文化を勝ち誇っていればいいというわけである。哲学者として、こんな歴史を無視して愚劣な態度で書かれた著作は認められない。

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