2018年03月09日に初出の投稿

Last modified: 2018-03-09

何日か前に、オンラインのコンテンツとして実は殆ど存在しないものの一例として「ソーシャルブックマークやニュースサイトの翻訳(コメントも全て含めての翻訳)」を紹介した。さきほど朝っぱらから Note の一つに誤記を見つけて訂正しているときに、もう一つ思いついた。僕の机の右には壁があって、森浩一先生の著作集のパンフレットを壁に貼っている。パソコンが起動するまでのあいだ、そのパンフレットを眺めていて、ふと「そういえば発掘報告書の批評なんて読んだことがないな」と思い当たったわけだ。

ご存知かもしれないが、どういう小規模な発掘調査であろうと何らかの報告書は作成される。考古学ファンが博物館や古本屋で手にする簡易製本の発掘調査報告書は、そういう体裁で発行できる予算がついた一部の成果にすぎず、もっと多くの発掘調査については冊子にまとめる予算が足りないので、行政機関内で報告される内部資料ていどにまとめられるか、幾つかの発掘調査をまとめて「○○市埋蔵文化財調査年報」などという名目で報告している場合も多々ある。埋蔵文化財に関する発掘調査や保護・陳列の予算は減るばかりなので、今後はウェブページに書いた文章が報告書の扱いになるかもしれない。

考古学のプロパーは、もちろんそういう報告書を手がかりにして研究するわけだが、昔から学界で報告書の良し悪しという評価基準は話題になってきたのに、実際に個々の報告書を批評する人はオンラインでは殆ど見かけない。なるほど、プロパーがそんなことをすると行政や外郭団体から協力してもらえなくなるという懸念はあるのだろう。確か大阪府高槻市の市役所だったか、市議会議員に資料を説明するといった公僕としての義務すら無視して、陰険な対応をする職員団体というものがあるくらいだから、報告書の批評などしていたら現地で全く協力してもらえなくなるかもしれない(と FUD みたいに書くことも憚られるのだろうとは思うが)。

しかし、現実には考古学プロパーにおいて報告書の良し悪しは話題になってきた。森先生も著書の中で言及されていたはずである(具体的にどこの遺跡の報告書が良くて悪いかは書いてないが)。アマチュアが同じことをするのもリスクがあるとは思うが、手にする人が何の評価基準も持たない(というかプロパーだけが秘儀のように共有するだけ)というのはよろしくない。

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