Scribble at 2023-04-22 11:14:39 Last modified: 2023-04-23 12:00:18

研磨フィルムや砥石で作業している際の刃先の様子を撮影するのは難しいのだけれど、恐らく機械的な調整という目的で替刃のメーカーなら毎日のようにやっていてもおかしくない。したがって、僕らアマチュアだろうと理容師だろうと研ぎ師だろうと、現実の刃先の様子を胡散臭い「感覚」とか「経験」によって当て推量するだけの人々が書いたり話していることを、恐らくフェザーや貝印の社員は生暖かく眺めているのかもしれない。ただ、彼らの成果の一端は学術論文として誰でも読める情報として知りうることは、既にここでも何度か紹介している。そして、企業の技術研究という一定のバイアスなり制約はあるものの、それらの成果に学ぶことは、剃刀を研ぐという作業についての夥しいデタラメから距離を置くための知恵を得る良い手段であろう。

しかし、常識で考えて幾らでも言えることがあるのに、それを丁寧に議論しないのも不見識というものだ。専門家に委ねるべきことはあるにせよ、素人だろうとアマチュアだろうと当たり前のように考えたら排除できるガラクタの理屈は、やはり率先して叩き伏せておくことが望ましい。たとえば、どれほど番手の高い製品であろうと、研磨フィルムや砥石で金属を「研ぐ」ということは、即ち金属の表面を削ること、もっと言えば金属の微細な構造を破壊することである。研磨フィルムや砥石の構造からして、金属と接している箇所は常に凹凸があって、おおよそ平均して何ミクロンという精度の粉末や石が剃刀の表面に当たって、それらが剃刀の刃先を削るわけである。しかし、その物理的な様子は「破壊」と言って良く、人間国宝が作業しようと、あるいは YouTuber の若造が FX とかで得た泡銭で200万円の砥石に悪戯半分で剃刀を当てようと、結局そこで起きていることは同じである。

剃刀が「剃れる」かどうかだけが問題なのであれば、その先端は鋭くしなくてはならない。

さて、髭の太さは 0.1mm(100㎛)前後と言われていて、工業製品である替刃の薄さは 0.08mm(80㎛)程度で製造されているという。しかし、替刃の薄さという数値そのものには髭を剃るに当たって大きな意味がない。なぜなら、髭が剃れるかどうかは刃先の先端がどれほど鋭くて、どういう角度がついているかによって決まるからだ。ブレードそのものの薄さは関係がないのに、こういう数字をメーカーから示されるだけで、「髭よりも薄いから剃れるんだ」などという錯覚が起きる。そして、実際には理容師や研ぎ師やアマチュアの wet shavers も同じ錯覚に陥って記事を書いたり動画を配信していたりする。替刃の薄さは、剃れるかどうかの話に直結するわけではなく、仕入れた圧延ロールから、安全剃刀に装着して問題ない強度や耐久性の厚みで何枚の替刃が製造できるかというコストの問題でしかない。剃れるかどうかは、一定の厚みで切り出した替刃の先端をどう研ぐかの問題に帰着するのであって、替刃の厚みそのものは関係がないのである。

ここでは何度か、刃先と刀背を密着させて研ぐだけでは切れ刃など作れないと主張してきたわけだが、しかし刃先を鈍刃にするだけでいいというわけではない。その証拠に、僕が研いで使っている(つまり剃れるような切れ刃を作った)剃刀と、まだ研ぎ方が不十分で剃れない剃刀とを顕微鏡で比較してみると、その様子は実は殆ど同じである(光が当たって影ができる濃さ、つまり角度は殆ど同じである)。では、どうして一方は髭がちゃんと剃れるのに他方は剃れないのかというと、それは切れ刃の更に尖端である刃先の最も端が鋭くなっているかどうかによって結果が変わるからである。そして、それは髭の太さよりも更に小さなスケールでの形状という問題になるため、100倍や200倍といったていどの顕微鏡では様子が分からないのだ。剃刀をクライアントから預かって研いでいる事業者の中に、電子顕微鏡で1,000倍以上の映像を利用している人たちがいるのは、これが理由である(ちなみに「電子顕微鏡」とは日本電子の JCM-7000 のような装置を言うのであって、アマゾンなどで売っているのは電子顕微鏡でもなんでもない)。はっきり言うと、YouTube の研ぎ動画などで、せいぜい10倍から30倍ていどしかない拡大鏡で切れ刃の様子を確認しているような人は、全くデタラメなことをやっているのである。

実際、工業製品としての替刃について言えば、その刃先のもっと先端部に当たる「刃先アール」と呼ばれている箇所は、0.03~0.05㎛ の幅があるとされている(刃先の鋭さは、当たり前だがゼロに収斂などしない)。これに対して、#10,000 の番手で販売されている研磨フィルムに付着している研磨剤が 1 ㎛ とされているから、#10,000 という精密な粒度の研磨フィルムで剃刀の刃を研いだとしても、替刃の刃先アールで実現されている鋭さと比べて20倍くらいのサイズがある研磨剤で刃先を削っているのと同じなのである。どれほど力を加えずに刃を研磨フィルムに滑らせたとしても、0.05㎛ などという刃先を作るのは非常に難しいことが分かるし、こういう刃先が作れているかどうかを確認するのも難しいと分かるだろう。

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