Scribble at 2021-08-23 10:44:59 Last modified: 2021-08-23 11:04:40

今日は『自滅する企業』(ジャグディッシュ・N・シース、2008、英治出版)を読んでいる。多くの、そして『ビジョナリーカンパニー』などで称賛された数多くの企業が、その後に業績を落としたり倒産したのは何故かと知人の経営者に聞かれて調べ始めたのが、執筆のきっかけらしい。

それはそれで構わないが、僕はこの本の内容について、かなり重大な点での異論がある。僕は、恐らく社会思想の範疇になると思うけれど、著者とは反対に永続する組織などないと思っている。どういう対策をやって、どれほどの優れた人材が集まって、いかに優れた商品を作ろうと、企業はいずれ消失する。事業転換して焼肉屋が車のディーラーとなったり、あるいは車のディーラーが IT 企業となったり、それとも IT 企業がアパレル事業へ転換しても、そのあいだに陣容は一新されるだろうし、ロゴ・マークや社名も知らない間に消え去る筈だ。もちろん経営者が在任期間で会社の資産を食い潰してよいなどと言っているわけではないが、その会社が現在の世の中で事業を展開している〈存在理由〉なり役割が消失したと判断できるなら、会社を解散させることも一つの見識だと思う。よって、本書の中では「コア・コンピタンス依存症」として組み立てブロックの生産に固執して業績を落とした LEGO を失敗例として取り上げているが、組み立てブロックの価値が現代の親や子供には理解不能となったり、実際にホビーや情操教育として効果がなくなったと判断すれば、LEGO という会社なり事業を〈畳む〉ことも経営者の正しい決断だと僕は思うし、少なくとも経営者として選択しうる道の一つだと考える。自社の拠って立つ来歴や中心的なアイデアとか技術に固執することを「コア・コンピタンス依存症」と呼ぶのは勝手だが、〈それがいけないことだ〉とまで批評する権利は、恐らく経営学者や経営コンサルにはないと思う。それは経営者や、その会社の人々自身が決めることであって、他人が判断することではないのだ。

そして、他の記事でも少し触れておいたが、本書ではウェルチが退任した後だからか、やたらと GM を称賛している。原著の出版が2007年であるから、GM が倒産する2年前のことだ。経営書の中で称賛されていた企業が業績を悪化させたのはなぜかと問われて書いた本の中で称賛された GM すら、たった2年後に倒産しているのである。つまり、企業が業績を落とす本質的な理由や原因について、著者の分析力も、かなり明白と言えるていどに〈節穴〉だったと言わざるをえない。もちろん、何度も言っているように経営書や経営の議論は結果論でしか語れないので、後からなら幾らでもこういう批評はできる。それこそ、バカでもこんな指摘は書けるのだ。だが、事実は事実である。2年後に破綻することになる(その当時ですら問題を抱えていたに違いない)会社を称賛したという事実に変わりはない。

よって、数多くの企業の経緯が実例として紹介されている箇所は資料として読む価値があるかもしれないが、著者の経営学者としての分析については、はっきり言わせてもらえば話半分に読むべきだと思う。確かに、

・変化している現実を認めようとしないこと

・自分たちの成果に拘る傲慢さ

・大企業は小さな変化で崩れないという錯覚

・自社の主事業やコア・コンピタンスは顧客に不可欠だという思い込み

・眼の前にいる競合しか相手にしようとしない視野狭窄

・市場拡大や顧客優先指向という強迫観念から生じた過剰なコスト

・管理部門と営業部門と開発部門との縄張り争い

といった落とし穴は多くの大企業に見て取れる。よって、これらを企業の自滅要素だと指摘することは正しいかもしれない。しかし、これらで全てというわけではないし、これら〈こそが〉最も重大な自滅要素だと論証できる根拠もないのである。そして、これらの自滅要素がないとされ称賛されていた GM が、本書の出版からまたたく間に自滅し、国営企業として公的に救済されることとなった。

そういうわけで、学ぶべき本からはノートを取っているのだが、残念ながら本書はノートに書き留めておくべき点が見当たらないので、読み流すだけである。

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