Scribble at 2021-12-31 09:27:25 Last modified: 2021-12-31 11:42:33

Other threads say that power save is disabled by default on recent Pi OS versions, but apparently for the Zero W, that is not true:

Disable Wi-Fi power save mode on Pi Zero W Buster

昨日、最後に残っていて正常に動いている Raspberry Pi Zero W に Buster (Debian) ベースの Raspberry Pi OS Lite を新しく入れなおして起動してみた。OS をセット・アップしなおした理由は、無線 LAN のアクセス・ポイントとして使っている室内のルータ(ブリッジ接続)の横に Raspberry Pi Zero W を置いていたのに、無線 LAN の接続設定が、遠い方にある玄関付近のルータ(これはもちろんディフォールト・ゲートウェイ)へ接続するようになっていたからだ。それでも繋がっていたのだけれど、どうもログインするまでに待ち時間が10秒以上もあるし、接続が不安定だったので、これなら自宅で Raspberry Pi を運用する意味がない。クラウドの VPS でも借りたほうがマシというパフォーマンスだ。何度も言うが、僕は Raspberry Pi の詳細なんてどうでもいい。道具として Rust や Python という処理系が正しく動けばそれでいいのだ。

しかし、改めて SD カードに Buster ベースの Raspberry Pi OS Lite の Legacy イメージを書き込んで Wi-Fi の設定を変更してから電源を入れると、LAN に Raspberry Pi Zero W が出てこない。おい。公式の OS を入れてこれかよ。少し調べると、どうも公式の OS ですら、おそらくはドライバを書いてるメンテナーに昔からあまり有能な人材がいないらしい。

これに加えてうんざりさせられるのは、これは僕が(本来は Raspberry Pi のことなんて詳細に説明するつもりも義務もないのに)当サイトでわざわざ単行本に匹敵するレベルの文章を丁寧に書いて掲載している理由でもあるが、とにかくオンラインで見つかる文章や解説の 95% くらいは読まない方が寧ろ安全だと言えるほどだ。これは特に日本で出版されている理数系の大学テキストなどによくあることだが、特別な環境で作業しているという事実を説明しなかったり、特殊な前提や予備知識を誰もが知っていて当然だと思い込んだり、あるいは端的に言って高校生以下の母国語の運用能力しかないくせに他人へ物事を解説しようなどと傲慢なブログ記事を書いてみたり(しかし、そういう人物に限って「この文章が何かの役に立てば」云々のヘタレ野郎に特有な言い訳をすぐにつけたがる)、とにかく酷いありさまだ。いま「母国語」と書いたのは、もちろん英語でも大半がクズだと言いたいためである。英語の話者でない僕から見てすら、不正確で不十分で曖昧で独りよがりな英語の文章を書いていい気になっているアメリカ人がたくさんいる。

どうも Raspberry Pi に関連する話だけの問題ではないのだが、この手のガジェットについて文章を書いている人々の多くは、これが扱いを少しでも間違えると起動しなかったり正しく動作しない電子機器であるという、それこそ真面目な理解なり、正確な情報を扱うだけの厳しさが足りないのではないか。数千円で組める環境だからといって、この手のガジェットにかかわる人々の多くは、特にオンラインで記事やページを気軽に書いている連中の大半は、何度でもやりなおせばいいと物事を舐めているように思える。

しかし、それを喜んだり看過するのはマゾヒストにすぎない。失敗なんてないに越したことはないのだ。そういうクズ同然のウェブ・ページやブログ記事を読まされて失敗を繰り返す人間の人生の一部である時間を真面目に考えたらどうか。時間は、浪費しても絶対に取り返せない。5分で文章を読み、そして15分くらい試して失敗すれば、20分が無意味に失われる(このような試行錯誤で本人に何らかの「経験」が身につくというのは、実は認知科学としても教育学としてもデタラメである)。もしかすると、この20分は死ぬ間際に家族と話しておきたいことを話せる時間と同じ長さかもしれない。スティーブ・ジョブズをはじめとする IT ベンチャーの経営者がよく口にする話だが、実質的に Terror Management Theory の信者と同じく、人は死ぬのが怖いからこそ時間を大切にするという傾向もある。このような理屈を押し進めたらわかることだが、われわれは無能の成果につきあって教えてやったりフィードバックするほど暇ではないのだ。他に手段がないからこそ、オープン・ソースのようなプロジェクトに参加したり、バグを報告したりするのであって、もともと有能な人間があるていどの品質で開発していれば、こんな下らないトラブルで何度も同じようなことをやりなおす必要なんてないのである。

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