Scribble at 2022-05-03 17:24:49 Last modified: 2022-05-05 00:55:36

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こんなわかりやすい文法書に日本語版が必要なのかと考えてしまいます。それほど簡単な英語で書かれているのです。興味がある方はぜひ原著を購入されることを強くおすすめします。

マイケル・スワン『オックスフォード実例現代英語用法辞典』(吉田正治/訳、研究社、2018)

翻訳者には気の毒なことだが、僕も上記で引用したレビュー(実際には購入していないので「カスタマー」とは言えないが)に賛成だ。実際に本書の原著を手に取ってみれば分かることだが、原著の英語を理解できない人が翻訳を手にしたとしても内容を理解できないと思う。少し頑張って語彙を増やしておけば、それこそ日本の高校生でも読めるように書かれている。なので、本書は原著で読める筈の人には不要だし、原著で読めない人にとっても理解不能で手に取る意味がない(まだ力不足という意味で。漬物石、あるいはこれ見よがしに他人に見せるために買うのは勝手にすればいい)のだから、これは原著を手に取って眺めたことがない消費者と出版社との情報の非対称性を利用した、こう言っては言い過ぎかもしれないが、姑息な出版事業だと言わざるをえない。

最低でも大学院の修士課程(学科は人文系でも自然系でも問わない)に進学できるていどの勉強をしている人は、原著を買って読むことを勧める。あと、できれば店頭で実際に手に取って買う方が〈安全〉ではある。もちろん、書店だと消費税を1割加算されるので、アマゾンでは4,800円で販売されているが、書店で買うと6,000円近くになるという事実を容認できる懐具合によるが。それでも、アマゾンだと、Oxford University Press が公式に販売しているわけではなく、「ロダ」と名乗っている輸入業者が販売しているため、送られてきた商品が破損していたりトラブルがあるようだ。よって、出荷元と販売元がどちらも Amazon.co.jp となっている商品を選ぶことで、Oxford University Press から在庫としてアマゾンが預かっている商品が送られてくるので、比較的だが安心だろう。ただ、その場合は書店の店頭で買うのと同じく消費税が加算された値段になっているため、僕のように Amazon Prime の会員として送料を無料にできなければ、更に送料がかかるのだから、場合によっては6,000円を超えるかもしれない。

そういうことを勘案すると、他のレビューにも書かれているとおり、マーフィーの Grammar in Use のようなテキストと殆ど内容が変わらないのであれば、そちらを買ってもいいかもしれない。ただ、僕は Grammar in Use とか Cambridge の文法書シリーズは使ったことがないから何とも言いかねる。そもそも、あのシリーズはアマゾンで眺めていると新刊書と古本が別々に出品されていたり、無印、Basic、Intermediate などレベルに分かれているため、Oxford の Practical Usage と同等の内容であるためには何を買い揃えたらいいのか分かりにくい。それに、あちらも翻訳が出ているけれど「マーフィーの」と銘打っている割に、あれは実は Intermediate とかだと著者がマーフィーじゃなかったりするのだ。

あと、最後に書くのは申し訳ないのだが、僕は Practical Usage の原著は書店で見ているだけで所持していない。いまでも文法書の類は何冊か読んでるし、MIT Press から出ている生成文法をベースにした英文法の教科書すら持っているので、いまある教材を十分に活用すればいいと思っているからだ。もちろん、名著との評判があるし Practical Usage も手に取ってみたいのだが、なにせ6,000円というのは興味だけで買うには高すぎる。

そもそも、よほど新しいか特殊な単語の用法でもない限り、can とか take といった基本的な単語の用法なんて、中型の英和辞典にでも「語法(Usage)」として囲み記事やコラムの扱いで記載されていることが多いのだ。そういう、たいていの方は高校を出ていれば中型の英和辞典くらい買った筈だろうから、手元にあるものをちゃんと活用しようよと思う。上記で引用したページでも書いていることだが、単語集にしても大多数の人の学習ではわざわざ専用の本を買う必要なんかないのであって、最低でも5万語や8万語を収録している中型の英和辞典さえ持っていれば、それを使って未知の単語が乗っている〈自分が読みたい〉原書を読んでいけば、知らない単語を辞典で調べて語義や例文などをノートへ書き溜めていくうちに自分のために使える単語集が自然と出来上がるのだ。もしそれを、自分の関心だけに偏っているとか何とか批判するような人がいたとしても、それを続けて語彙が3万語を超えたら、たいていの人が言う批判なんてどうってことない実力がつくものだ。

なお、僕は体系的な知識を身に着けることに価値を置いている人間なので、何かを勉強するときには自分が知りたいとか興味あることだけではなく、一通りの知識を身に着けたいと思う。なので、コンピュータ・サイエンスや情報セキュリティの知識を一通り身に着けた方がいいという目的で新人のウェブあるいは IT のエンジニアには資格試験用のテキストなどで勉強することを勧めている。こういう態度は、いま述べたような、自分が読みたい原書で単語を覚えてばかりいると偏った言葉ばかり身に着くという批判を気にしなくてもいいという話とは矛盾するようだが、そうでもない。確かに、自分が覚えたい単語だけを6,000語か8,000語しか覚えていなければ、大学受験ていどなら対応できるにしても、仕事や現地での生活には不十分だろう。しかし、単語を覚えていく指向が標準的ではなくとも3万語ていどまで習得すれば、偏りが特定のジャンルであれば専門的な素養となるし、雑多に覚えているなら素養として十分な量となるはずだ。つまり、単語の場合はそれだけの量を身に着けるという条件が大切なのだ。したがって、データベースのエンジニアがデータベースに関係のあることばかり勉強して、他のプログラミング言語や暗号論や通信工学の勉強をまったくしなかったとしても、データベースに関する相当な分量の知識を資料やプロダクトのドキュメントなどから得ていれば、そこには関連する技術の知識だって少なからず含まれる筈であって、そこまでやるなら概論のようなものを勉強しなくてもそれに含まれる知識も相当に共有できるくらいの素養が身に着くだろうと期待できる。つまりは、何か強い動機や目的があって特定の分野や話題にだけ執着し集中することで得る素養や知識が一定の分量を超えていれば、一般的な概論のようなものをわざわざ闇雲に勉強しなくても済むだけの何かが身に着く筈なのだ。しかし、特に何か強い動機や目的もないなら、一通りの知識を満遍なく学べばいいわけである。だが、そういう素養を身に着ける目的は「セレンディピティ」のようなヤケクソとかラッキーを期待するからではないという点だけは注意したい。そんなことは、たいていの仕事や学問や趣味においては起こらないのであり、そんな幸運を期待することこそ、本を読んだり学問にかかわるまでもなく不見識なことだと弁えるべきだろう。

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