Scribble at 2025-10-07 12:43:15 Last modified: 2025-10-07 13:27:01

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初めて買った国語辞典は、実は『広辞林』(三省堂)だった。当時は『広辞苑』(岩波書店)との区別もしていなくて、ただ単に書店で見かけた大部の辞書というだけで、いわば「イキって」買い求めたわけである。確か、小学5年生くらいだった。とは言っても、『広辞林』は1907年(明治40年)から刊行されていた歴史のある辞書であり、実は『広辞苑』の初版が1955年(昭和30年)だから『広辞苑』よりも古くから使われてきた辞書なのである。もちろん歴史が長いというだけで権威として認めるような人間は保守の名に値しない出来損ないだが、しかし「岩波」だからといって三省堂の辞書よりも権威があるかのような思い込みも、同じ程度の思い込みというものである。辞書を使う人の多くが岩波の国語辞典を愛用しているのは事実だが、同じく辞書を仕事などで活用している人々の大半は、一冊の辞書だけを権威のように扱うのは浅薄かつ暗愚な考えだと述べている。実際、大修館書店、旺文社、三省堂、角川書店、学研、ベネッセなど、色々なところから出ている辞書を活用している人が多く、そしてどこの辞書を使っているかで成果の優劣がつくものでないことも、多くの人々が雑感として抱いているはずである。

それから、中学以降は『広辞林』が重すぎて持ち運べないという理由で(一時期は、なぜか小学校へ『広辞林』を抱えて登校していたこともあった)、僕は岩波の「小型」辞典を使ってきて、ここ最近の20年は『明鏡国語辞典』(第1版、携帯版、2005)を使ってきた。そして、先日も書いたように見出しの下にある漢字表記が老眼鏡をかけてすら判読が難しくなってきたという事情で、少なくとも扱いやすい辞書を物色し、学研の『現代標準国語辞典』(改訂第3版、2016)を手に入れたというわけである。なお、収録語数が9万語ていどまでを「小型」の国語辞典と言うらしいが、正直なところ多くの人には違和感がある分類だろうと思う。なぜなら、たいていの人は7万語前後の辞書を標準的なサイズという意味で「中型」だと思っていて、「小型」と言えばコンサイス辞典のような、新書判の薄い辞書だろうと思うからだ。

そののち、長らく「明鏡」を愛用してきたので、やや古いが「携帯版」ではないタイプの「明鏡」(第1版、2003)も手に入れた。ところが残念なことに、「携帯版」ではないから多少は判型が読みやすく大きいのかと思ったら、実際に手に取ると大きさは殆ど同じだった(上の写真)。せいぜい、高さにして 1cm ほど大きいていどだから、文字のサイズなど区別できない。困ったものだが、ひとまず大きい方と交換して使っている。ただし、ふだんは用字辞典としても漢字表記の大きさを優先するため、学研の辞書を座右に置いている。そういえば、漢和辞典も学研の辞書が扱いやすい印象をもっていたので、版下のデザインについては学研の人材が信用できると思う。もちろん、辞書は内容が重要なので、文字が判読できるだけで良いというものでないのは明らかだ。実際、判読しやすさだけで言えば、「文字が大きな」というセールス文句が帯に書かれた三流の辞書や、ダイソーなどで売っているやたらと文字が大きな辞書だって使えるだろう。

それから、何度も書いておくが、専門的な教育を受けたり素養が身についている人間は、決して「私は哲学オタクです」などと自己紹介しない。大学院を出ている人間が、そんな自己紹介をする必要などないからだ。したがって、アマゾンのレビューで「わたしは辞書マニアです」とか「わたしは辞書オタクです」などと自己紹介しているような人々のレビューはたいてい信用に値しないので、無視して構わない。そういう人々に限って、(1) 言語学や日本語学の学位すらもっていない、(2) 書籍の編集に携わった職歴や経験もない、(3) 辞書というものが国語辞典や英和辞典など、自分が知っている言語の辞書だけで語れるものではないということを弁えていない、という、少なくとも三つの理由から、そもそも辞書を語る資格などないのである。暇な成金や脛齧りが自宅にどれだけの辞書を買い貯めていようと、そんなものは他人に辞書を語るだけの保証になどなっていない。

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