2022年06月07日に初出の投稿

Last modified: 2022-06-07

高校時代の同級生にも帰国子女は何人かいたんだけど、もちろん「帰国子女」の代表だなんて思ってない。それは僕らが「日本人」の代表でもなんでもないのと同じだからだ。よって、彼らの挙動や発言をもって何か海外の文化や習慣ゆえだとも軽率に思わないようにしていた。ただし、本人から説明してもらえば、ひとまず本人が誤解していない限りは「そういうものなのだな」くらいには理解したものだった。そういう事例は、海外からの帰国子女といったケースでなくとも、大阪ならもっとありふれたケースとして在日朝鮮人や在日中国人が更に多くいる。民族や国籍を隠さざるを得ない事情があれば問わないが、隠さずに「これは韓国の風習だと聞いてる」と説明してもらえば、本当かどうかは別としても、そういう説明なり理解をしているという事実は尊重したいと思った。それは、何も日本が侵略したとかそういう経緯があるからという無用な遠慮が理由なのではない。

異なる由来で異なることをやったり考えている人たちに、何か特別な支障や問題でもない限り、別の考えや習慣を強要するのは無礼だし、不公平だと思う。これこそが、本来の「保守」の考え方だろう。自分たちの歴史や由来だけを何か神聖で優越したものだと思い込むようなバカは「保守」の名に値しない。それは、実質的にそういうことを言ってる連中を見れば分かるが、ただの無学な連中の劣等感やコンプレックスの捌け口として用意されただけの〈ガス抜き思想〉にすぎない。或る意味では気の毒な出自ゆえの人もいるとは思うが、たいていにおいてそういう愚劣な言動や思考を補助するような思想はバカ専用、というわけだ。

よって、海外で生まれ育った人たちがやることを、「外国で生まれ育ったから、あんなことをするのだ」などと言ったり考えたりはしない。でも、その代わりに個人として判断や言動に責任を求めるがゆえ、やったことの責任は当人にとってもらうというのが僕の(仕事でもプライベートでも)方針だ。つまり、一部の帰国子女がよく言う「アーカンソー生まれなんで」みたいな減らず口は許さないということである(たぶん、僕が気に入らない類の愚行はアーカンソーでも怒られる筈だ)。そういうときだけ「ガイジン」のふりをするなという話である。仕事であろうと人付き合いであろうと、あるいは恋愛でもそうだろうと思うが、そうしたことはどこかの民族としてやるものではなく、およそ〈人として〉やるものだ。国籍が変われば別の思考や言動になるのか、という話でもある。そういうチンケな保身にしか役に立たない「海外経験」なら、仕事したり人として善く生きるために 1mm も必要ではない。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook