Scribble at 2024-07-27 08:28:08 Last modified: 2024-07-27 14:33:50
[...] 皇位継承資格を男系男子という狭い条件に限定したのは、「伝統」でも何でもない。明治の皇室典範で初めて、前近代以来の側室制度とセットで採用された、まったく新しいルールにすぎない。
この高森という人物は、『朝まで生テレビ』に登場して話していた様子を観たことがある。神道の研究者であるという以外に何か事績として知っていることはないのだが、上のような文章を神道の研究者が公にするのは良いことだと思う。細かい点、たとえば過去の女性の天皇が文化や政治において重要な役割を担ったり大きな事績を残したと言えるかどうかという評価については意見が分かれると思うが、彼の主張している論旨そのものは筋が通っている。そもそも、「元皇族」の子孫というだけで実は神道や皇室の内部事情など殆ど知らない三流の物書きが喚いている妄言など、彼のような神道の研究者がいちいち紹介して論難するほどの価値はないと思う。だいたいにおいて、高森氏のようなプロパーの研究者を除けば、この国で皇室や皇族について「専門家」と称して好き勝手に論じている連中の大半は、宮内庁への取材経験などから「事情通」として知ってることを小出しに喋ってるような情報ブローカーにすぎないのであって、およそ皇室や皇族に関する女性週刊誌レベルの与太話や茶飲み話の類しか言えない人々だ。もちろん、かような連中は神道を真面目に学んだこともなければ皇室典範を一文字も読んだことはあるまい。
ちなみに、こう書いているからといって僕の天皇制という制度についてのスタンスは高校時代から全く変わっていないわけで、天皇制そのものについては高森氏と意見が異なる。なぜなら、高森氏は「日本」という条件あるいはドメインの中での「伝統」を論じており、これはその限りにおいて正しいと思うのだが、僕はここ最近は何度も強調しているように人類史のスケールで守り維持するべきものを優先するというスタンスだからだ。僕は天皇制の廃止を支持しており、その理由は全くシンプルで、天皇制は人の役割を法令で定めて強制するという人権侵害だからである。昔は、天皇は人ではなく現人神だったので人権は設定できないという概念的なインチキが横行していたわけだが、そんなことを本気で信じている者など奈良時代にもいなかっただろう。また、「人権」は近代に発明されただけの西洋的なイデオロギーにすぎないので、日本の「伝統」の方が優先するという議論も、歴史の長さを制度の妥当性にすり替えている詭弁である。1ヶ月前に提案された制度や理論であろうと、それの価値において妥当であると現代のわれわれが同意できるのであれば、それは伝統をオーバーライドしてもよい。これが人の知恵の(「進展」かどうかはともかく、一つの)発展や展開というものであり、保守の思想家がそういう変化をなんでもかんでも否定したり疑うなどというのは、「保守」を名乗っているだけの文化芸人どものパフォーマンスを思想的な言動だと錯覚しているだけのことである。これは、相対的な考え方をすれば疑問の余地もない話であり、時勢に流されている人々の言動や思考に抗う場合であっても、それは「動かない」とか「静観」という停止したような態度ではないのであって、寧ろ流れとは逆向きの大きな力を使っている。