Scribble at 2024-05-20 19:59:41 Last modified: 2024-05-20 21:46:41
もう昔の話になると思うのだが、科学哲学という分野が自然系の研究者からとにかく嫌われていたことがあって、いまでも一部の人々は冷笑のネタにしたり毛嫌いしているわけだが、昔はとにかくイデオロギー的な拮抗と言うべきものがあった。
その拮抗には幾つかの「戦線」があって、必ずしも一つの観点で科学哲学が遠ざけられていたわけではなかった。たとえば、左翼の自然科学者の中には科学哲学者のノンポリっぽいところに腹を立てている人がいたし、逆に民族派みたいな変わり者の数学者や自然科学者から見ると、科学哲学(そして科学哲学者)というのは白人文化を押し付ける連中といったように見えていたようだ。そして、そういう人々には左だろうと右だろうと、「反米」という共通の思想があったわけだ。
それから何と言っても、PHILSCI.INFO の「ストリート・ファイト」という雑文でも似たようなことを書いているのだが、簡単に言えば自然科学の知識が殆どないのに「科学の哲学」だの科学哲学だのと言って、演繹がどうとか仮説がああだとか、適当なことを言ってるやつらという印象を持ってしまった人がいたわけだよね。たとえば、もう亡くなった藤川吉美氏なんかは論理学や数学の哲学では教科書とかをそれなりに書いていた人だったのだが、その後はロールズの研究などに移ってしまっていた。もちろん、法律や社会科学が研究対象であろうと「科学哲学」を名乗っていいわけだけど、やはり丁寧に説明しないと、自然科学者の多くは誤解する。なぜなら、「科学」とは何であるかをたいてい全く知らないのが自然科学者だからだ。文化人ヅラして何かエッセイでも書くようなジジイや婆さんにでもならないかぎり、ふつう自然科学者は、皮肉にも「科学とはなんであるか」なんて、興味もなければ考えもしない。でも、「他人」に科学を語られると、何か大切なものを乱暴に扱われたような不安を感じるわけだよ。
つまり、彼ら自然科学者にとって科学哲学者というのは、いきなり研究室へやってきて机の配置を変えてしまうようなやつらなのだ。だから理性も議論もクソもなく腹を立てる。物理の博士号ももってないくせに、量子力学の概念がどうのとか、われわれのステージで好き勝手なことを言い始めるゴロツキみたいなやつらというわけだ。まぁもっとも、量子力学を殆ど分かってないのに「量子社会学」とか言うやつもいるから、自然科学者が警戒するのも少しは分かるけどな。
ともあれ、科学哲学に対する自然科学者の態度がまったく誤解であることは、既に PHILSCI.INFO で何度か書いているし、誤解を引き起こす原因の一つが科学哲学(者)の側にあることも書いた。もちろん、いま制作をすすめている科学哲学の「まともな」テキストにも書くわけだが、そもそも僕が書くのは「科学哲学」のテキストなので、自然系の人々からはタイトルを見ただけで遠ざけられる恐れがある。なので、ページを開いてもらうところまでは、どうにかマーケティングの手法を駆使して引っ張ってこないといけない。