2018年04月04日に初出の投稿

Last modified: 2018-04-04

If you’ve paid attention to politics on the internet as long as I have, you might have noticed a worrying and confusing trend: traditionally libertarian figures transitioning into alt-right supporters.

Adam Smith to Richard Spencer: Why Libertarians turn to the Alt-Right

なぜなのかって、われら凡人が首尾一貫した思想なんて、なかなか持てるわけないからだよ。それこそ原理原則を曲げるくらいなら死を選ぶかどうかというところまでものを考える人など、そうはいない。それに、一部の人々はこういう切り立つような状況設定が好きだけど、歴史において「原則を選んで死んだ人々」の大半は原理でも原則でもないクズみたいな思い込みを盲信しただけのことだった。

何にせよ、てめーが食えないとか、てめーが就職できないのは「やつらのせい」であるというのがバカの(ものを厳しく思考しなくても生理的に自然なプロセスで認知できればたどりつく、言ってみれば安易な)思考パターンであり、これまでリバタリアンと称する連中は、そういう安易で自動的な思考パターンによって政府を目の敵にすれば自分たちの無能を免罪できていたわけだ。それが、最近ではユダヤ人とか不法移民とか、要するに大統領がキチガイになったおかげで立場の弱い人々をあからさまに攻撃できるようになったというだけのことだ。

この手のクソみたいな卑怯者たちは、ここ日本においても自分たちの無能を顧みず、やれ伝統だ、やれ国柄だと、実のところ凡人には思考もできなければ真に認識もできはしないただの言葉(つまりは自分たちが全く分からない音声や文字)を振り回しながら、他人を攻撃すれば何かが解決するとでも思い込んでいる、反抗期の子供みたいな連中である。したがって、リバタリアンが状況によってはネトウヨやネオナチになるということが上記の記事の問題なのではなく、そもそも大多数の凡人というものは主義主張の一貫性や客観的な正しさなどに関心はないのだから、状況によっては幾らでも自分勝手に主義主張を変えてしまうのがあたりまえであって、そのこと自体に驚くという著者の迂闊さこそが問題であると言うべきだろう。

クリシンを勉強したり、ガキの頃から学校でディベートを繰り返すくらいで人や社会が50年や100年でどうにかなるわけないだろう。日本でも、その手の猿真似をやれば民度や知性が平均して底上げされると考える人がいるけれど、啓蒙や教育に限らず、そんなに簡単なことではないし、効果を上げるとしてもずっと時間のかかることだと思う。そして・・・たいていのホモ・サピエンスが困るのは、実は効果が出てくるまでに殆どの個体は知的に成長しきれず死んでしまい、有益な影響を後の世代に家庭で受け継ぐのは難しいということだ。もしかすると人の知性や価値観を進展させるには、情報なり古典的な成果をアーカイブしてそれなりにお膳立てを揃えておくだけでよく、後の世代が親とか教師の言うことを「ショートカット」するしかないのではないかとも思える。もちろん、昨今の無知無教養なネトウヨやナイーブなリベラルを眺めていると、バカがやるショートカットは歴史の軽視であり、それはつまるところ勉強しないということでもあるから、それだけならショートカットはロクなことにならないわけだが。さてはて、人類史に決定的な前進をもたらずショートカットが成功するまでに人類は存続していられるのだろうか。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Google+ Twitter Facebook