Scribble at 2024-12-17 09:06:27 Last modified: 2024-12-17 09:22:32

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About The Free Press

海外で使われている言葉であるとか、あるいは端的に言って翻訳だと言われていながら、かなり日本で誤解されている表現がたくさんある。おそらく、その一つは "hard work" であろう。これが外来語として「ハード・ワーク」になると、どういうわけか長時間労働、あるいは長時間労働を当然のこととする目標設定やタスクという意味になってしまうようだが、それは必ずしも正しくない。

経営側が「ハード・ワーク」を口にするときは、長時間労働を社員に求めているように受け取られたくないという思惑で、わざと曖昧な説明で語られることがあるけれど、なんやかんや言ったところで長時間労働によってしか成し遂げられない(と錯覚されている)ことを求めているという事実に変わりはない。売上を増やそうだの、いま以上のこれこれを達成しようだの、結局は何時間か残業してくれと言っているに等しい。だが、このような社員との向き合い方は、日本人によくある「相手のことを気遣う」などという偽の親切やパターナリズムであろうが、欧米の企業では端的に言って不誠実だとしか受け取られない。本当は実質的に長時間労働を求めているくせに、あたかも社員の裁量があるかのような言い方をして誤魔化しているというわけだ。社員に意図や趣旨を包み隠さず向き合うつもりがない経営者は、欧米では信頼されない。業容が小さくなればなるほど、経営側との信頼関係は直に給料や待遇や仕事の内容に関わるのだから、もちろん社員にとって切実な話題だし、働き続けるかどうかを決める重要なポイントである。

イーロン・マスクのような人物に限らず、欧米の経営者は「ハード・ワーク」を社員に求めることが多い。しかし、それは必ずしも残業時間を増やせばいいというものでないのは当然だ。なぜなら、このようなことは有効であるかどうか、つまり結果が全てだからであって、残業時間を増やそうと売上や営業利益が増えていなければ、そんなものはただの「居残り」にすぎず、「ハード・ワーク」しているとは評価されないわけである。これまた日本では「がんばった」という一言で結果がどうであろうと本人を労うような態度が良しとされているが、企業はそんなことを続けていたら倒産してしまう。企業経営というものは、社員が単に頑張ったとか残業したというだけで続けられるものではないのである。

したがって、長時間の残業をせずに「ハード・ワーク」を達成することもできるわけで、そのために必要なのは、もちろん生産性を上げることだ。そして、これも日本では非常に古くから誤解されていることだが、生産性を上げるために最も重要なのは「スキル」などという漠然としたものではなく、情報や知識なのである。生産性が低い人々の特徴は、「生産性」という言葉で凡人が思い込みがちなイメージである「手が遅い」ということではない。これは、はっきり言ってしまえば凡人の多くが「生産性の低い人物」の典型として高齢者や身体障害者をイメージしてしまっているからだろうと思うのだが、実際にはそういう単純なものではない。現に、オンラインで「老害」などと言っては騒いでいる若者には不愉快なことだろうが、企業において最も生産性が低いのは、若手社員なのだ。単に伸びしろが期待されているから黙殺されているにすぎないのに、あたかも自分たちが高齢者や障害のある社員よりも働いているかのような錯覚をしている若者が非常に多い。

そういうわけで、「ハード・ワーク」は残業などしていなくても高い水準の成果を集中して出していれば実行されていると見做せる。なぜなら、期待されるよりも高い水準で多くの成果が出ているからだ。「がんばった」だのなんのとどう取り繕おうと、結果が出ていなければ遊んでいるのと同じである。

ということで、ハード・ワークが何を意味しているかという一例として、冒頭では The Free Press というメディア企業のプロファイル(外来語で「プロフィール」と言っているのはフランス語である)を紹介する。ここではハード・ワークを歓迎すると述べていて、その具体的な内容として "the old-fashioned reporter skill set—empathy, courage, ingenuity, and drive" を挙げている。つまり、共感、勇気、工夫、そして積極性(行動力)だ。ここには長時間残業など一言も書かれていないし、必ずしも残業や長時間労働が要求されるタスクが並べられているわけでもない。なお、笑うべきことに、こういう "old-fashioned" なジャーナリズムの学識も経験もない、都内のインチキ・メディア企業に限って、「これからは共感の時代だ」などと高らかに宣言して、自分たちがメディア企業として稚拙かつ未熟であることと自己宣伝していたりするものだが、要するに X から拾ったネタをコピペする WELQ 学生を集めるだけで「メディア企業」なんてものは作れないというだけのことだ。

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