Scribble at 2022-02-15 12:00:02 Last modified: 2022-02-15 13:06:03
以前、会社に来てもらっていたネットワーク・エンジニアがいた。もう10年以上は昔のことだが、当時は自分で自宅にサーバを組んでホスティングのサービスを提供しているとも聞いた。デスクトップに浜崎あゆみの写真を貼り付ける趣味があったようで、もちろんゼネコンだと何か言われるのだろうけど、そんなもん仕事ぶりとは関係がないのはわかっているし、特にキモいわけでもなんでもない。若者が推しだとかアイドルの写真をデスクトップに設定して、何が悪いのか。業務用のマシンであるという点は一つの理由としてありえるが、たぶん殆ど関係がないことである。実際、僕が20年近くにわたって同僚や部下の業務用パソコンの扱いを見てきた限りで言えば(少なくとも事例として100台を超えるくらいは見ている)、業務用のパソコンをそれこそ「私物化」して悪影響があった事例の大半は、デスクトップに浜崎あゆみの写真を設定するとか、僕のように必ず決まったマウス・ポインタのファイル(Tumi's 3D metallic cursors)を使うとか、そんなことは殆ど関係がない。寧ろそういうこと(広く言えば「カスタマイズ」)をしない者のほうが、業務用であろうとなかろうとパソコンという精密機器を雑に扱って、すぐに故障させてしまうのだ。そういう人々は、たいていはノート・パソコンを2年くらいで動作不良にしてしまう。会議などでの様子を見ていてもわかるが、机やテーブルにパソコンやスマートフォンといった精密機器を無造作に放り投げるのが、「ビジネス・パースン」などと言われてスタイリッシュで格好いいという自意識を刷り込む新興宗教みたいなものが、どこかの雑誌とかウェブサイトとかテレビ・ドラマなどで垂れ流されているのだろう。もちろん、原因と結果が逆であるという可能性はあろう。つまり、無造作に扱うから故障しやすいというだけではなく、これまで使ってきた機器はすぐに故障したからこそ、愛着がなくて無造作に扱うのだというわけである。しかし、もし両方がどちらも妥当であれば、これは正当化するような話であるどころか悪循環でしかない。故障しないように精密機器をつくることを他人に期待しても仕方ないが、自分が精密機器を無造作に扱わないよう〈自分で行動を変える〉ことはできる。やればいいだけだからだ。そんなことは企業人としての行動原理というか、マネジメントの基本であろう。他人に期待しても無駄である。他人なんてたいていは他人自身の事情が変わらない限り、たいていは昆虫と同じような反射行動しかできない凡人なのだから、自らすすんで思考や行動を変えるわけがないのである。
前置きがひどく長くなったが、こんな話をしたいわけではなかった。そのネットワーク・エンジニアが自宅でサーバを運用していたという話だが、もちろん他人さまからお金をもらって提供しているサービスであるから、サーバ機器やネットワーク機器については一定の償却年数を想定して増強なり交換をしているのだろうとは思う。けれど、やはり個人として運用している環境では、どうしても自宅のただのパソコンと同じような感覚で、使えるなら何年でも使うという状態に陥りやすい。しかし、長期のサポートが切れたようなサーバを使い続けることが当たり前であるかのような前提で話をするというのもどうかと思う。いくら金に乏しい個人であろうと、自宅でサーバを運用するなんて贅沢をするのだし、個人の運用であっても減価償却という発想は必要だろう。もちろん、あほが毎年のように iPhone を買い替えて喜んでいるような話とは違うのだし、必要に応じて買い替えるのが当然であろうから、決まりきった年数で交換する「べき」だとは言わないが(昨今は機器をメンテナンスして長く使い続ける「権利」を訴えるムーブメントもある)、それでもセキュリティ・アップデートを続ける側のコストを考えたら(それが新製品の価格にも転嫁されるのだ)、個人として運用している場合であっても、サーバ機器などは用途に応じて5年単位で交換を検討したいところだ。静的なコンテンツを返すだけのウェブ・サーバを DMZ に置くというていどなら、10年前のサーバでもスペックとしては使えるが、問題はファームウェアや OS のサポートだ。