Scribble at 2024-11-13 18:32:10 Last modified: 2024-11-13 18:43:07

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さきほど古書店で見つけた掘り出し物と言ってもいいのだろう。440円だったし。ということで、本書は1971年に六十代前半という若さで亡くなった和島誠一氏の著作集だ(1985年に復刻されたもの)。和島さんは「古墳文化の変質」という晩年の論文で、僕がこれからサイトを作ろうと思っている、東大阪市の山畑古墳群について触れている研究者だ(MD では既に説明したが、ドメインを維持するお金が高くなっているので、ドメインは手放すことにした。なので、「サイト」とは言っても MarkupDancing の下層ディレクトリで公開するサブ・サイトになる。サブ・ドメインなら独立した一つのサイトと言えなくもないが、あんまりサブ・ドメインって好きじゃないんだよね)。

さて、この論集は和島さんの教えを受けたという人々が色々な雑誌やアンソロジーから論説を集めてきて編集したものだという。「和島誠一著作集刊行会」という名義で、世話人には近藤義郎、市原寿文、岡本勇、甘粕健、そして田辺昭三という名前が並んでいる。まぁ、日本の考古学者であれば誰でも知ってる一つの学閥を総ていた面々だ。実際、日本の考古学というのは学閥どうしの敵愾心なり無視・無関心が酷い。小学校高学年から中学にかけて末永雅雄氏と森浩一氏の教えを受けたことがある、自分で言うのはどうかと思うが「元天才考古学少年」として言わせてもらえば、例の捏造事件なんてのは、外部からの批判や吟味を拒否する学閥という集団で起こるべくして起きたことだとすら言える。僕は中学生くらいで既に日本が酷い学閥で歪んでいることを知っていたので、考古学の勉強をやめた一つの理由にはなっている(そして、もう一つが新聞記者や文芸作家といった素人やアマチュアの杜撰な意見が簡単に新聞や雑誌や本として流通する、この国のマスメディアや出版業界の「民度」の低さにウンザリしたという理由もある。さらに言えば、この国の人たちって、こういうことを「民主的」という言葉で飾り立てる傾向があるんだよね。でも、民主主義っていうのは無能や馬鹿や不勉強な人間に下駄を履かせることなんかじゃねーんだよ。学術は常にトリクル・ダウンであって、われわれ凡人、いわんや無能な人間は、有能な人間に全ての道を譲るべきだ)。ということで、考古学や歴史学を大学で専攻してプロパーの研究者や博物館の学芸員や地方自治体の職員なんかにならなくて良かったと思っている。もし考古学を続けるなら、たぶん海外で研究者になったかもしれない。

ていうか、いまだに岩波系列と言っていいような学閥の人々は、ただの左翼イデオロギーを「科学的」とか言い続けるしなぁ。彼らにしてみれば、「科学哲学」という言葉で意味されるべき本来の内容は、革命的プロレタリアート独裁のための上部構造を研究する分野なんだろう。まぁ、歴史的な経緯を細かく見たら、必ずしもデタラメなことを言ってるわけでもないのだけど、そういう似たところを議論できるのは、マッカーシズムなり冷戦が始まるまでの、せいぜい10年にも満たない期間だったしねぇ。

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