Scribble at 2024-05-01 09:05:47 Last modified: unmodified

"Why there is something rather than nothing" というフレーズそのものがミスリーディングな表現であるというところから始めてみよう。なぜなら、もともとこのフレーズで表現されるべき問いは、nothing があるのではなく something があるのはなぜかという問いではなく、そもそも「ある」ということがあってしまう(あるいは、他にどういう表現ができるのか、いまだによく分からない)のはなぜかという問いだった筈だからである。もう少し進めて、これを「ある」がありえたこととありえなかったことに区別できるとすれば、「ある」がありえなかった可能性もあったわけなので、何かが「ある」ということと、いまこの世界が現に「ある」ということは、少なくとも論理的な同値ではないと言いうる。

ここまでの議論は、もちろん論証するにも限界はあるし、実証については殆ど見込みがない。しかし、扱う対象を替えてみると参考にできる話題がありえる。たとえば、我々のような生命を宿すものがいるのはどうしてなのかという話題であれば、生命の定義という大きな争点はあるにしても、具体的に発生論を探求できるという大きな利点がある。そして、それが我々にとって利点であるのは、発生論として生命の起源を解明すれば全ての問題が片付くからなのではなく、発生論をクリアに解決することによって、そこに残る(かもしれない)問題が明らかになるからだと言える。これは意識の hard vs. easy problem という対比にも言えることであり、哲学、なかんずく科学哲学において実証科学の知見を学ぶべき理由は、こういうところにもある。easy problem としての脳神経科学などを探求することによってこそ hard problem が本当のところどういう問題なのか(そして、本当にそれは問題なのか)が分かる。

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