Scribble at 2021-08-22 15:30:15 Last modified: 2021-08-22 16:02:56

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上記の写真で左上に並んでいる2本が、僕の所有している腕時計だ。左が数ヶ月前に中古で購入した TIMEX(ブランドは "VIEW POINT")で、右が大学の入学祝いに母親からもらったシチズン(ブランドは "PENTHOUSE")である。シチズンの方は動いていないから、使ってはいない。

腕時計を左右に分割して並べているのは、ご覧になればおおよそ察していただけるかと思うが、僕は左のような文字盤(だけではないが)を好む。でも文字盤がシンプルであればいいというわけでもなく、右側に並ぶ中にもあるとおり、インデックス(時刻を表す数字や印)がない〈ツルッとした〉、いったい何時何分なのか角度だけでは分からないデザインも好きではない。ただのファッションだと言えばそれまでかもしれないが、ファッションだけのために腕時計をしてるなんて田舎者または成金(または田舎者かつ成金)だろう。

高額な腕時計になればなるほど、文字盤に日付や気温や今日の運勢まで表示される複雑さが過剰に増えたり、あるいはインデックスにダイヤを使うとか無意味なコストばかりかかったり、あるいは分針すら付いておらずブランドのロゴをこれみよがしに見せたいという自意識プレイのアイテム(当人というより製造元の愚かな自意識プレイでもある)だったりして、腕時計の利便性は失われがちである。ただ、一概にそうとも言えない場合があって、安物の腕時計でもやたらと時刻が分かりにくいデザインのものもあるし、高額な商品でもしっかり役割を果たせる素晴らしいものもある。が、いまのところは所有している時計を捨ててまで使いたいものはない。(もらってから30年以上になるシチズンの腕時計は、もう電池も切れていて分解掃除が必要であるため、au のポイントが余っていたという事情もあって3,000円で TIMEX を購入したのである。)

それから、僕はアナログの時計を気に入っているし、実際に時刻とか時刻にかかわる時間の感覚を掴むにもアナログ時計の方がデジタル時計よりも良いと思っている。デジタルの時計は、そのときの時刻に関してだけなら単刀直入で分かりやすい。それは確かだが、逆にデジタルの時計は〈それだけ〉しか分からない。9時に起きてから何時間が経過したのかという時間経過の感覚を針の動いた角度という空間的な感覚として把握できるのは、アナログ時計の方である。これは、ベルクソンに言わせれば由々しき態度かもしれないが、いわば有益な錯覚というものだ。どのみち時間なるものが〈空間的に把握されてはならぬ何か〉として実在するのかどうかなんて分かったものではない。そう言えば、「デジタル時計」の一種になるのかどうかは知らないが、中学生の頃に『銀河鉄道999』の映画が流行ったという事情もあって、松本零士がデザインした音声時計(さきほど調べてみたら ALBA の「アストロボイス」という商品らしい)も使ったことがある。あの独特の造形で顔をあしらった、文字盤も針もない時計を触ると「8時5分です」と音声で応えるわけである。ただ、ご想像のとおり、これはすぐに使わなくなった。他にも、あの当時は同級生で電卓が付いた腕時計とか持ってたやつもいたけれど、あれもすぐに使わなくなったのだろう。

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